寝るのが早くて早く家を出たので、到着も早く書きたいことがあったので、早速書きます。今日は7時台の電車に乗ったのですが、結構小学生が多かったのに驚きました。考えてみれば、僕もそういう時間に学校へ行く準備やらなにやらしていたんだと気づきました。高校のころは野球部で朝練があり、1年生の時は先輩よりも早く到着していなければならないということで始発にのっていました。よくやってたなと今思うと感心します。というか、やっていたなんて信じられないようなそんな感じです(笑)やってたのかな?あの時代は存在したのか?(笑)

 子どものころは言われたことをやるというのは、僕にとって自然なことだったわけですが(やらなければならないというくらいの意味で)、一方で自分のやりたいことはやっていたいというところもありました。とはいえ、やるべきことはやらるというのがほとんどの毎日だったのではないかと思います。朝起きて学校行くのも、時間割にそって勉強するのも。

 自分でストレスを意識していませんでしたが、結構ストレスだったのではないかと思います。大学の頃に、大学っていいなって感じたところからそれは思います。大学は基本的にある程度とらないといけない講義や単位はありますが、講義の組合せは自由です。自分で選択して納得していきます。場合によっては昼近くがその日最初の講義でゆっくり睡眠もとれます。大学のシステムっていいなぁってすごく思いました。

 自分で納得して選択をして朝が早いのと、いかないといけないということから早いのでは気持ちの違いはあると思います。もちろん、自分の好きなようにやっていることだけで生活をしていたら、この体験で感じるものというのは得られないと思うので、それはよい体験ではあると思うのですが。

 この仕事について、自分で選択ができるというのは、ある意味精神的な健康としてはよいのでしょう。ただ、それに伴う責任と生活があるのでそのストレスはありますが。

 もちろん、生活のリズムが確立しているほうが楽で、それに沿うことがエネルギーを生むという人もいます。そういう人にとっては僕の生活はストレスで、今の生活が肌に合うのでしょう。

 自分の生活のスタイルというのが、わかるというのは大事なことだなと思います。自分の体や心を大事にするためにも。わからないとどこまでが頑張りで、どこまでが無理なことで、どこまでが無茶なのかもわからなくなってしまいますから。
 
 僕が感じるのは、自分の生活スタイルを知ることは生きる中での基本的なものなのではないでしょうか。基本だからこそ今ある社会の生活のリズムに合わせるべきというのでは、意味合いが異なります。社会のリズムを知りながらも、自分の生活のリズムというのを知るということではなく、合わせないといけない(自分の生活のスタイルを知らず)ということが先行していきそうなそんな印象があります。結果的には合わせたり、それを知ることが大事ですが、自分のことを知らなくていいかというとそうでもないかなと思います。自分を知ったうえで社会とどう付き合うのか。それを知らなくても生活できる人もいますが、息苦しくなりやすい人もやはりいますから。ちょっと立ち止まって考えてみてもいいのかなと思います。当たり前に生活してきた人にとっては気づきにくい点なのかもしれないと思いました。僕も今それに気づきました。

 これは個人的に感じていることですが、社会の生活リズムに合わせられないというのは、すごく社会的に低い存在としてみられそうな気がしてしまうのです。卑屈さがにじみでている個人的な感想ですけれど(笑)社会の人間として認められないというか。こうあるべきが強すぎるような気がしてしまうわけです。圧力がすごい(笑)たとえば、好きな時に起きて好きな時間で家を出て仕事をして適当に家に帰ってくる。そして、それ以外の時間は好きなように過ごして、適度に生活を保つ。そんな毎日を素敵だなって手放しで描けるでしょうか。素敵だけどできないよねーって思ってしまう。できないと思うところにどんな気持ちがあるでしょう。

 先ほども言いましたが、自分に合わない生活、社会だからこそ、そこで熱中できるものに出会うこともあると思うんです。ストレスがあるからこそ、それによって美しいと思えたりするもの、感動する出会いがあると思うんです。だから、今の社会の在り方に対して批判しているということではありません。そこで得たものが今の僕を形成していると思うので。ただ、社会のスタイル、価値観というのがそれほど強いのかいえばそうでもないのかなとも思うんです。というよりも、社会のスタイルは社会のスタイル、個人のスタイルは個人のスタイル。どっちが正しくて、どっちが悪いということではなく、お互いに尊重されて、そのなかで折り合いをつけるというのが大事なんだと思います。でも、なんだか社会のスタイルがじりじりと詰め寄るような・・・そんな印象を受けてしまうのです。そこから僕の育ちというのを少しうかがいしれるような気もするのですが(笑)

 なんとなく朝早く家を出て、いろいろ感じることや考えることがありました。といっても、ここまで書くつもりで書き始めたわけではなかったので、書きすぎた感は否めません(笑)というか、文字多い。まだ9時だから得した気分。日常のなかで時計から何かと「もうこんな時間(やだな)」と刺激を受けることが多いので、「まだこの時間」と感じられるのは嬉しい。