母になりかけ

 最近、更新が続いているので、我ながらよくやっていると思っています。何かを変えたいけどすぐにできることはないかということでこれを書くようにしています。そして、何よりも書かなかったという罪悪感を軽くするためにも。自分ルールで自分がストレスになって、他の仕事に支障がでていて利用者さんに「自分の価値観とうまく付き合いましょう」なんて言えたもんじゃない。いや、逆にそれがうまくいっていない姿が僕ですって言ってもいいのだろうか?物は伝えようですかね(笑)できるなら、自信を持って伝えたい。

 昨日、ドラマで母になるというのを見ていました。最初の頃は結構重い話しだなと感じて、しばらく見ていませんでした。昨日はたまたまテレビをつけていたらやっていたので見ました。自分の子どもが連れ去られて死んでしまったと思ったら他の女性(連れ去った人間とは無関係)に育てられて数年後に再会する。そこにはそれぞれの思いというか思惑があったように記憶してます。

 生みの母親と育ての母親との会話で、生みの母親が
「あなたを許したわけじゃない。ただ、誰かを憎みながら生きていくことを考えるとぞっとする。もやもやを抱えて子育てをしても楽しくない。」
ということを言っていました。ずっと人を恨み続けるというのは敵意を持ち続けること。自分の心に、暗闇を抱えて生活するということなんだと思います。

 憎しみを持つ前、持った後では人格の違いが生まれます。鉄血のオルフェンズでいうところの、マクギリスに裏切られたときのガエリオ。決着がつくまでのガエリオの人格と決着がついたあとのガエリオの人格。

 なんてわかりやすいたとえなんでしょう。

 心持が違えば、たとえ同じ時間が過ぎたとしてもたどる道は異なるのでしょう。

 また、憎しみ続けること自体、人には難しいんだと思います。それは、優しい心が人にはあるので。そしてなんとなく感じたのは、その状態で人を愛することというのは難しいのかなとも思いました。エネルギーのベクトルが全く逆のような気がするので。

 ドラマでもありましたが、許すことは簡単なことではないんだと思います。その日がくるのはとても遠く、でもそれはいつかやってくる。そんな思いがセリフにこめられていたようにも思えます。このドラマ結構重いなって思っていたので、少し曇り空に日差しがさしたような。そんな感じがしたので、少しほっとして見ていました。

 一番衝撃だったのは何気なく見ていたのですが、今回って最終回だったんですね。驚きました。