GWも終わりに

今日はとても良い天気でしたね。
もしかしたら、少し暑いくらいに感じました。
GWが終わるということで少し先取りの話を。


GWがあけて、学校が再開します。
もしかすると、今まで不登校だったけれど4月に学校へ通いだした生徒もいるでしょう。この子どもたちに最初の難関だと思うのはGW明けになります。4月は一生懸命頑張っていっていたかもしれません。今までを取り返そうと勉強に友達付き合い、生活のリズムの立て直しなどいろいろ力を入れていたかもしれません。
そこで素敵な出会いや自信がつくことで、5月以降はあまり力を入れず通えたのなら何よりだと思います。ただ、頑張った分の反動で、休みで気持ちが緩んでしまって、もう一度力をこめるのが大変になったりします。もし緩めることなくGWを明けてまた通っていても力尽きてしまうのではないでしょうか。
行きたくない子ども、いきたい(いかねばならない)と思っているけれどいけない子どもを無理に通わせることではなく、また、無理に頑張って通っているのを見守るのではなく、何がつらくて苦しいのか、それをひとりで抱えさせないこと、ひとりで苦しませないでそばで支えることが一番大事なことなのではないでしょうか。それはとてもさびしいくつらい戦いになってしまう。
また、不登校に戻ったとしても何が悪かったのか、いけないのか、そうした責めるための犯人捜しはしないでください。誰かが悪くて不登校になるものではないと思います。それを見つけて責めても結局は大切な人を傷つけるだけで状況はかわりません。そこで家族が言い争っても本人がこの状況を作ってしまったと傷つくだけになります。もしかすると、自分がいけない、自分なんて生まれてこなければよかった。そう思うかもしれません。そんな悲しいことがあっていいはずはありません。
そんな状況は本当は家族の誰だって望んではいないはずです。僕は、どんな道を通過しても、そこで何を得たかというのが大切なことなんだと思います。挫折は誰にだってついて回ります。たとえ、才能があっても、いい大学をでていても、何かにつまずくことがあります。その時に、また傷を治して前に進んでいける力があるか、自分に自信を持って歩むことができるものを持っているか、そういうもがあるかないかが大事なのではないかと思うのです。
どういう道を歩んでもいい。そのなかで、胸を張って生きられるものを持っていればそれでいいと思うんです。自分が何も見いだせず、ただただ自信を失い心が傷ついていくだけの時間を過ごさないために。
この先のことを考えたら親であれば不安や心配になるでしょう。先の不安も大事なことですが、今の苦しいというSOSをどれだけ拾えるかということも、大切で取りこぼしてはいけないことなのではないでしょうか。


今までこの仕事をしてさまざまな状況のさまざまな年齢の方に出会ってきました。
どういう道を歩み、どういう後悔をし。
そういう人たちの無念を、苦しみを今の世代の出会った子どもたちには、少しでも経験させずに、歩めるようにすることが僕の責任でもあるのだと思います。
笑顔で夏休みをむかえて、また胸を張って2学期をむかえられたら。
そんな1学期にできたらって思うのです。
いつか、自分が不登校だったことを忘れて今を生きれるような、そんな日になるように。