4月のお話しと適当に仕事をするという話

最近お知らせばかりで活動内容に関する話を全くしてないことに気づきました。
なので少しお話を。
毎年この時期に触れている話についてまずひとつ。
この時期、世間は一斉に新しい出会いやスタートを切っています。どうしても、自分が取り残された気持ち、社会の人間としての自分を考えてしまう時期ともいえます。そういう時には相談するところにつながれたらいいのですが。なかなかそういうのは難しいですよね。
なので、今月はいかに精神的な安定を保つか。いかにしのぐかということでいいと思うのです。いちばん恐れなければならないのは、ストレスにまかせて自分や家族を傷つけてしまうことです。家族を傷つけるというのは結局自分を傷つけることになり、また、自分を傷つけるということは家族を傷つけることにもなるのです。
できるだけ、そうしたことは避けたいと思ったりします。


もうひとつお話し。
以前に思ったこと。「適当に(いいかげんにとは違う)仕事して稼いで、そこそこの生活ができれば」こういう言葉を聞いたことはありますか。そう思ったことがあったり、世間の人はそうやって過ごしていると思ったりしていたりしませんか?どれくらいこう思って仕事をしているかわかりません。ただ、これはありふれていて、特別なことを言っていないようで結構すごいことを言ってるんだなって思いました。
そのセリフができる人というのは、仕事の「やるべきところ(力の出しどころ)」がわかっていて、手を抜くところは手を抜き、人とも仕事に支障がない程度に話をして付き合っていくということができる人なのでしょう。仕事の評価としても給料を出すのに値するだけの仕事はこなしていると判断されるような。
それってすごいよなって思うんです。ちゃんとそこでの仕事の大切なところ(求められているところ)が何かわかり、そしてどれくらいの力を入れればいいか、またどこは力を抜いてもクビにならない、ないし作業として、力を入れずにささっとやるところなのかというがのよくわかっているということ。そして、それがコミュニケーションでもうまくやっていたりするわけで。
ちょっと僕には難しいなって思いました。僕が安易にまねをしたらクビになりかねない。これは社会で仕事をするなかでのひとつのやり方であると思うのです。それができないから自分がダメな人間だと思う必要はないと思うんです。僕にはむしろ、そのスタイルだとエネルギーを使ってしまうので、まじめに(愚直に?)やっているほうが楽だったりします。一生懸命やって余裕がないなんて力がないみたいなことを思ったりしますか?(笑)若いころはそう思ったこともありましたよ、僕は。でも、問題はそういうところではなく、働いている人や、お客さんやら周りの人に仕事を認められるかどうかなんだと思います。そして、自分がそのやってきたことに、誇りや自信が持てるかどうかなんだと思います。
さすがに、そこまで考えなくてもいいと思いますが、真面目で手を抜くのがあまりうまくない人なら、それくらい考えたほうが楽にうまくやっていけると思います。ちゃんとスタイルをもったほうがうまくやれるというなら、それもひとつだと思うのです。
器用なら器用でいいし、不器用なら不器用でいい。自分なりのやり方をもって、自信を持っていきていければ、周りと比べてかっこ悪くたっていいと思うのです。