家族のつどい

昨日は名古屋市精神保健福祉センターのここらぼさんへ行ってきました。
そこで、ひきこもりの家族の集いがありました。
僕の他に、こころとまなびどっとこむの尾崎さんと、なでしこの熊倉さんが一緒でした。
尾崎さんとは何度もお仕事を一緒にやっているので、会に参加するときに気持ちが楽でした。
熊倉さんは、個人的にさまざまなところで訪問支援の講師をされているのをみていたくらい。
こちらが、見知っている状態でした。
ちなみに、昨年フレンドシップさんのとこへお邪魔して少し熊倉さんとお話ししました。
それからすぐに、今回のお話になったので、ちょっとこれは縁を感じました。


参加された数は予定の9名よりも多かったと思います。
結構熱心で、さまざまなところで話を聞いて実践されているのがわかります。
ただ、終わった後に気づいたことですが。
たとえば、見守るにせよ、本人にアプローチするにせよ、アドバイスをうけて実践したとしますよね。
そこで、うまくいかなかった場合、多くの親御さんはそのやり方をやらないと思うんです。
そして、次の相談のところへ行って、同じようなアドバイスを受けてこれはだめだって判断する。
確かに、たぶん僕も同じようなことを思うと思いますし、未来に絶望してしまうかもしれません。
ただ、ここで本人との関わりでうまくいかない原因を大きくふたつ挙げてみます。
ひとつは、アプローチの方向性が全く本人に合っていない状態。
たとえば、情報提供すれば、動くことができるのに、それをせずに待っているというもの。
情報を集めるのが苦手とか、集める気力がなくて誰かとだとやれる、やれそうという状態で待つは進展が見受けにくい。
そうすると、アプローチが違うということになります。
極端な例ですと、待たないといけないところ、本人が動ける状態でないのに、外に出そうとする。
それは、方向が全く違うアプローチになります。
これはうまくいかない原因のひとつ。
もうひとつは、方向性はあっているが、アプローチの内容が薄いという場合があります。
それは、相談を受けている人、つまり支援する側が、情報を集めれていない、活かせていない、何かを見落としているなどそういうところなんだと思います。
これは、毎回相談で自分に言い聞かせていることなんですけれどね。
特に、状況が動いていないとき、「停滞している」と感じるときに強く反芻しています。
注意として休憩のための動いていないは、停滞ではないです。
このふたつめの例として、たとえば・・・
カウンセラーのだれもがクライエント中心療法をやれば、みんながさまざまなものに気づけ回復へ向かっていく。
そんなことはないですよね?現在そんな状況にないですよね?
つまり、技術を持っていても、方向はあっていても、カウンセラーの腕によって回復の度合いは変わります。
まったく効果なしってことも十分に可能性としてあります。
なので、同じ手法で支援者が助言してみても、すべて結果が同じとは限りません。
もちろん、最初に挙げた方向性が違っていたら、結果は同じだと思いますが。
こういうことをいうと、支援者を厳しく査定されそうで怖いのですが(笑)
相性という名の運みたいなものも必要になってくると思うので技量だけではないと思うのですが。
と、ちょっとハードルを下げてみました(笑)
ちなみに、相性とは、ご家族ともそうですし、本人ともそうです。
たとえば、本人が積極的に行動して問題を起こすのが得意な支援者。
ほとんど話すのが苦手で、物静かすぎる本人が得意な支援者。
なんてこともあったりしますから。
もちろん、年齢、症状といったところでも得意、不得意があったりします。
話しを戻しますが、「同じ手法をアドバイスする=うまくいかない」と判断する前にその支援者さんを見定めてください。
その人の目の付け所、考え方、支援方法などを観察してみてください。
ひととおり判断してから、問題は解決されないかもと思っても遅くはないと思います。
話しはながいので、ここで終わりたいです。
あまりだらだら話をするのはしまりがないと思うので。
ですが、続けます(笑)
たぶん、量だけの本だったら僕は書けますよ(笑)
大事なことですが、軽い調子で書こうと思います。
読んでいる人が、そろそろ活字地獄の限界に達すると思われるので。
と思ったのですが、違うブログに書きました。
「子ども⇔親 / 親⇔支援者 http://mitsuya758.della-nagoya.jp/e342374.html
読む元気がある方、興味のある方はそちらへ。


僕は家族会でちょっと気になったのは、年越しからお正月の過ごしかたってどうなのか聞きたかったですね。
1年を超えるとき、結構変化が見られたりするので。
それはどんな些細なものでもかまわないのですが。


その家族のつどいの後に、僕は他団体の方と勉強会。
引継ぎができる支援方法というのは大切だなって思いました。
自分しかできないところというのもそうなのですが、引き継げない支援の在り方は考えないといけないですね。
関わるうえでの技術面、相性は仕方がないとして。
継続できる支援の体制だったのか?それともそうではないのか?
たとえば、内容、仕事量がハードすぎて他の人が引き継げない。
まぁ、人数がかけられれば、人数を増やしてやればいいのですが、それによって利用する側が関わりにくくなると困りますが。
また、関係というところでもね。
その支援者だったから、相談が続いた。
それはとてもいい人で話しやすいというところなら問題はない。
ただ、愛着みたいな問題、利用者の欲求的なところでの関わりからくる反応による支援とか。
ちょっと、ピンとこないかもしれませんが、それだと引継ぎができないんですよ。
最悪、その支援者が他界したあと、どうにもならないではうまくないわけです。
引き継げるところはできるだけ引き継げるように。
その範囲での関わりをするというのは意識してこれから活動できればと思いました。
全部がそうであれ、ということではなく、もちろん、そのときの創造する力、ひらめき、感性は個人によるものだと思います。
技術と呼ばれるものは、教えてもらったり、自分で工夫することでなんとかできるんじゃないかって思うので。
考えさせられた内容でした。