月曜日のフリースペース

昨日のフリースペースは利用者1名。
ゲームしたり、パソコンをしたり、話をしたり、居眠りしたりといった感じ。
とまぁ、昨日は発達障害のある人のフリースペースだったのですが。
実は、月曜日には参加していないけれど、火曜日、水曜日に参加されている方もいらっしゃいます。
実際は、その場合が多いですかね(笑)
ただ、人数が多いと話に入れないとか、ついていけないことが多い方、疲れやすい方が月曜日にみえるかな。
昨日の方は、暇が嫌で来ている感じですが(笑)


メモに書いてここに書くのにエネルギーがなかったので、ずっと放置していた内容を書こうかな。
書かないと「書かなければならない」と思ったり気になったりで、エネルギーがそがれるので。
発達障害のある人でASD自閉症スペクトラム障害)にある人はコミュニケーションが苦手といわれている。
うーん、これには少し考察が必要かもしれない。
たしかに、そうした障害のない人、診断を受けない人からみれば上手くないと思われる関わり方をする。
しかし、見方をかえるとASDの人にはASDの人なりのコミュニケーションがあり、その人たちのスキルがあるわけです。
もし、ASDの人たちのスタイルのなかで生きて、その人たちがスタンダードならば、おそらく僕はコミュニケーションスキルがかけているといえるかもしれない。
たとえば、はっきりと思ったことをいわない。表現があいまいである。0か100かのとらえ方をしないなどなど。
どの視点から話をするかということ。
スキルがないとか苦手だと問題をぼやっとしてしまうと、どうすればいいのか?というところで方向を見失う危険性がある。
そして、本人自身、能力がないとか、苦手という意識を持ってしまう。
スキルがないこと、コミュニケーションが苦手ということが問題とするのではなくて、認識の偏りというところに問題を置いたほうがいいのではないかと思う。
発達障害のある人に関わっていて「おしい!」って思うことはありませんか?
あと少し視野を広げることができれば、問題は起きていなかったかもしれない。
まぁ、その僕らのいう「少し」が本人にとって少しではなく果てしなく遠い視点なのかもしれませんがね。
コミュニケーションでの問題の大きな原因のひとつは、その偏りによって拾い切れていない視点だと僕は考える。
そして、そういうとらえ方をしている当事者は多くないという印象がある。
たいてい「スキルがない、コミュニケーションが苦手」というところで悩んでいる。
自分で考えてそう思っているのか、他の人からいわれて(本を読んだというのも含む)そう思っているのかわからないけれど。
多くの人は「これはどうとらえればいいのでしょうか?」「見落としていることってありますかね?」とかそういう質問はあまりきかない。
「問題が起きたら、何が抜け落ちているか」という視点を考えるというのは大切なのではないかと思ったりする。
抜け落ちていないと確信しているときこそ、そう思ってほしいと考えたりする。
そして、それを一人で考えるのではなく、誰かと一緒に考えられるといいのではないかと思ったりする。
スキルがないとか、コミュニケーションが苦手というのは、ざっくりと誰かに伝えるのには便利な言葉かもしれない。
けれど、それで終わってしまうと、問題点の置き方を本人も、周りの人も間違えてしまうのではないかと思ったりする。


ついでに、コミュニケーションであれ、日常のとっさのことであれ「パニック」というのはやっかいで。
ひとつは、本人がパニックに陥っていることに気づいてないというケース。
まぁ、「とっさの出来事によって、感情が乱れ冷静に判断できない、考えられない状態」としたほうがいいのかな?
頭が真っ白になってしまう、フリーズしてしまうというのもそうなんですが、イライラする(そして頭が真っ白)というのもそうだと僕は認識しているから。
そして、何も考えられなくなって、人にあたったり物にあたったりしているみたいな感じになる。
本人がパニックに陥っているということを認識していても、これに対処するのはなかなか難しい。
「落ち着け」と何度も自分に言い聞かせたりする人もいます。
効果はどうであれ、感情に支配されないという気持ちをもつというのは大切だと思います。
自分なりに落ち着くための儀式があると、いいのかもしれない。
たとえば、イライラしそうになったり、真っ白になりそうなら手にひらがなで「いち、に、さん」と10まで書くとか。
アクセサリーを握りしめるとか。
それは、自分がパニックに陥るということを認識し、それを阻止するための努力をしているということ。
それを自分で確認できるというのが気持ちの励みになるのかなと思ったりする。
もしくは、その場を離れてしまう。一人に慣れる場所にいく。布団にくるまるとか。
そんなのもいいと思う。
パニックはとっさに起きるので対処が難しい。
しかし、まったく対処なしでパニックダダ漏れ状態にしておくと、うまくいかないことが多い。
自分にあった、パニック対策を身に着けておくといいかもしれない。
ちなみに、ここでいうパニック状態と、パニック障害は違います。


メモ以外のことで。
最近、僕はある発見をした。
ひとり言というのは結構有効だと思った。
それは意図してやるのも有効だと感じた。
腑に落ちないこと、納得のいかないことは声に出して、考えると意外にうまく整理されていくことを体験できた。
それは、出来事を声にするのもそうだが、誰かに説明するバージョンであったり、大勢の前で語るバージョンでもその他何でもいいと思う。
この方法は、一人暮らしの方におすすめだ。ただお隣に聞こえてしまうくらいの大きな声ではやらない。
小学校の黒板の上に張ってあった張り紙を思い出してほしい。
声レベル2.5くらいまでの大きさでたのむ。
家族と住んでいて引きこもっている人は注意して。
ひとりごとが増えて、もしかしたらうちの子統合失調なんじゃないかって思われるので。
ちなみに、声のものさしのお話で、レベル1の「ひとりで」ってあるのもあるけれど。
あれってどういうときに使うの?ひとりごとってことか?
ひとりごとをしゃべっているのって自分じゃ気づかないことが多くないか?特に小学生だと。