来年の願いが絶対に叶いますように

今日は朝から夜にかけて1日中バタバタしていたような気がする。
明日も予定は続いていくのだけれど。


いじめの問題がいまあがっているわけですが。
学校や教育委員会の対応をみて、親御さんは何を思うのだろう。
それでもやっぱり学校へいかせるのだろうか。
通わせるとしたら、何を学校に期待するのだろうか。
たぶん、僕らが不誠実な対応をしたらこうした団体はたぶん姿を消しているだろう。
でも、通わせようと思うそこには、学校というところに対する価値をあらわしているのではないだろうか。
それは不登校ということに対する考え方、見方ということにもつながるのだと思うけれど。


また、そこにいる子どもたちは何を思ったのだろうか。
こうした大人の姿をみて何を感じるのだろうか。


なんてことを思ったりした。


そうそう、昨日保健所へ行ったときに相談員さんとのACTの話になったんだけど。
精神科医が中心に動くと治療的な意味でのアプローチになるのでは?というのがでたけれど、これは確かにそうだと思います。
たぶん、ACTをはじめようとしている人で、精神科医を中心と考えている方がいたのなら注意がいりますよ。
ACTは生活の質を高めることをやろうとしているんだと思います。
生活の質を高めようとするアプローチは、どちらかといえば医療ではなく福祉です。
畑が違うわけです。
たぶん、ACTをする場合、医学的な知識はそれほど問われないと思います。
ほとんど出番がないといってもいいかもしれない。
ただ、ちょっとしたお薬のことや、症状に対してどういう状態か医学的な見解を述べるときとかそんな感じなのかなぁと思います。
診断は下されているわけですし。
お医者さんは主にその人の「症状」をみるわけで「生活」を見ているわけではないです。
精神科医の先生で、生活に関してのアドバイス、地域での活動についての参加などそうした話をしてくれる先生ならたぶんOKだと思いますが。
そうした話を主治医の先生からきいたことはあるでしょうか。
そうした話をずっとしてきて関わってきたことがあるでしょうか。
おそらく、薬が効いているのかどうか、最近の調子(状態)はどうか、といった症状やお薬の話ばかりだと思います。


とはいえ、まったくそういう話をしないわけじゃないですよ。
もちろん。いい先生はいてくれるんですけれどね、どうしてもそうでない先生が多いわけで。
それについて嘆いていたり批判しても生活はよくなっていかないと思うので、どうすればいいだろうかということを考えていくことが大切。
できることなら、支援に精神科医を巻き込んでしまうのも一つだと思います。
対立していても仕方がないですからね。


訪問やフリースペースに来ている方の様子を見ていて思うことがあります。
症状や抱えていることをたくさん考えて生活している人は、結構毎日がつらいという印象があります。
逆に、友達とでかけたり、趣味をしている人は比較的日常での精神的な安定は保てているように思えます。
もちろん、僕の知らないところでその人は苦しんでいる可能性は十分にありますが。
生活というのは取りかかりやすかったりするのです。
どんな小さなことでも、それがスムーズにいくようになれば見えている世界が変わったりするのです。
大きな問題を動かそうとしてもなかなか動かないものです。
ちなみに、親御さんもうそうですが。
結構訪問先の親御さんは趣味を持っていたり特技を持っていたりします。
お子さんのことで最近はそれをやっていないようですが。
親御さんもそうした時間を大切にしたほうが僕はいいと思います。
それがない日々というのはつらいもので、すぐに息切れしてしまうことが予想されます。
もし、お子さんから「何をのんきなことを!!僕がこんなに苦しんでいるのに!!」と怒ってきたらみつ屋を紹介してください。思い当たる団体を紹介してください。
苦しんでいるのだから助けてくれというSOSなので。
これはとってもチャンスだと思います。そこで、活動をやめたり、何もしないというのはもったいなすぎます。
とにかく親御さんの生活の在り方というのを考えてみてもいいかもしれません。
心配で休むことはできないかもしれません。その心配をどうにかしていくことも支援であり、解決の糸口なのかもしれません。


そういえば、子供の家で活動して9月で3年。
早いですなぁ。でも、まだまだ新米 獅子舞 てんてこ舞いです。
いろいろ構想はあるんですけどね。
自分のイメージに実力がついてこないというか。
タイトルは七夕のお願い事です。