高木俊介医師の講演会

今日はフリースペースをお休みして、熱田で行われた講演会に行ってきました。
高木俊介先生の講演で精神科の在宅医療ということについてお話されました。
「誰もが人として地域で生きる (訪問型の医療と福祉でできる生活支援)」というタイトルですが、なんとなく介護見たいですな。
開場は350人入れるとのことだったので予約せずに行ったら入れませんでした。
まさかこれほど参加者が多いとは思っていませんでした。
見れないかと思いきや、他団体の方が僕のぶんまで申し込んでくれたということで聴くことができました!
日頃の行いがいいからな(笑)
もう、本当にその方には感謝、感謝でございますよ。これだけではなく他のことでもよくしていただいていますし。


スタートして、先生がすすめているACT(アクト)についての概略。
これはドクターから精神保健福祉士、看護師、言語療法士が訪問してチームとして関わっていくもの。
対象は重度の精神障害のある方を対象としている。詳しくってほどでもないですが、それは後程。
ちなみにACTは全国で3カ所しかないみたいです。それっぽいのはいくつかあるみたいですが。
愛知には存在しません。
ACT(Assertive Community Treatment):包括型地域生活支援プログラム


内容はといいますと、まずはじめに精神病院はなくなるって話。
これは驚き。維持するのがもう大変らしい。
それと治療という観点からの限界というのもあって、医学モデルから生活モデルへの転換が必要だといっていた。
ここの話しで、印象に残ったのは先生の毒舌っぷり(笑)これは最後までそんな感じでしたが。
とはいえ、やたらと批判するのではなく、データであったり今までの臨床経験(ACT)からのお話で説得力があるものではある。
精神障害は知的障害や身体障害と違って親が未来に対しての心配、対策のスタートが遅いということ。
つまり、その障害と生涯どうやって付き合っていくかということを考えたりしている。
精神の場合、まずは発病して気づくのが遅い(子どもが成人になっている)ということ。
その次に、入院して治療などによって症状がおさえられて退院し問題ないと思ってしまうこと。
しかし、生活していくにつれて症状がまたでてきて、そして入院し、また出てきて、入院し・・・。
それを繰り返してようやく、この病気を障害ととらえてこれからずっと付き合っていかないといけないと思い動き出す。
そのころには両親はかなり年を重ねていたりして、未来を考えて取り組むのが遅くなる。たしかに、これは納得のいくところでしたな。
また、精神科の先生というのは、地域でのキュアではなくケアということに関して一番知らない存在であるということ。
それよりも、現場で生活を支えている人間のほうが情報と知識を持っているといっていた。


お次の話は、精神科のお薬について。
僕はこの話をここで話していいのか少しためらうところです。
これはできれば高木先生にきいてください(笑)
少し話すなら、お薬というのは効果は個体差があるので、一律に使ってというのは乱暴なことなんですというような印象の話し。
印象というか、解釈というか。


ここまでは結構過激な内容でした。しかし、その事実を受け止めて、前提として支援を行う必要があるわけで。
ここを曖昧という状態にするとACTの支援とは違う色をだしてしまうのです。
なので、明確にきっぱりと頭に叩き込んだほうがいいわけです。
そして、次のお話。それは100年前にある人がいったことについて。
100年前というのは、現代精神医学が成立したときでもあるようで、そのときにすでに現在のこれからについての指針となるものがあった。
Bleuler,Eという人が「統合失調症あるいは統合失調症群」(1911年)というもののなかで・・・
・正常な状況、慣れた環境で治療することは一般によいことである
統合失調症にかかったから施設へくるべくではなく、特定の適応があるときにくるべきなのである
・概していえば早期退院がよい結果を得る
・病院治療の有害な点とは、患者の症状がまさに抑圧によってかえって悪化し、患者は自由を得ることができればいっそう健康な状態へ向かう
と述べている。最後のは早期退院の必要性についてのべている。
しかし、日本ではこれと真逆なことが展開されてきたということです。
地域での生活を中心においた精神医療と福祉支援ということを特にいいたいわけです。


その次にACTということについて。
ACTは


1.看護師、精神保健福祉士作業療法士、薬剤師、精神科医、当事者・家族、臨床心理技術者、就労支援担当者といった多種によるチームアプローチ
2.スタッフと利用者の比率を1:10に保つ
3.担当ケースの共有
4.チームが直接サービスを提供をする責任を持つ
5.生活の場(利用者が必要とする場所、必要とする状況)でサービスを提供する
6.期限を設けないサービス
7.柔軟なサービス提供
8.利用者の尊厳を守り、選択や決定の権利を尊重し、個人情報を保護しつつ積極的に関わる
9.24時間365日体制を保持する


ACTは、①多職種による多角的支援②チームによる継続支援③アウトリーチによる現場支援④24時間365日の危機介入支援という特性を持っている。
詳しくは本で→ACT‐Kの挑戦―ACTがひらく精神医療・福祉の未来
これによってやりたいことは、本人の管理のためのシステムではないというのは重要だと思う。
本人がどういう生活をしたいのかというところが重要。
これをきいておもったけれど、この方向性は重要。
この活動をやっていて、その人の症状ばかりに目が行ってそれをなんとかしようとしていた感じはある。
しかし、そうではなくて、どういう生活をしたいか、それを行うのにどういう支えが必要かというのが重要なんだと思った。
どういう生活をしたいか(たぶんこれは具体的にどういうことかも重要かもしれない)ということをなしに、症状だけ考えていてもこれはうまく解決いかないんだと思う。
「症状をなんとかするための生活」ではなくて「自分の意思を持って送る生活」が重要なんだと思う。
その意思というのは、なんだっていいのだと思う。大それたことではなくて外食に行きたいでも、野球がしたいでも。
症状をなんとかするのではなくて、こういう生活がしたいのだけれど、こういう症状が困るんだよね、さあどうしようというもの。
あなたはどんな生活を描いているのですか?これを抜きにしないことだと僕は思った。
じゃないとこれは治療になる。やりたいのは生活をすること。日常を過ごすこと。症状のために生きているわけじゃない的な感覚。


高木先生の話で精神科医についてのウィークポイントをあげていた。
結構痛烈なんですが、それは一つ事実であり、またそれをきちんと理解したうえで支援をしないとACTではなくなってしまうらしい。
たしかにそうだと思う。
それを伝えたいということで、きついことを言っていたと僕は理解する。
ACTのなかでは医療行為というか現在の精神科の治療はACTのなかでは支援のほんの一部くらいの感じで話していた。
ほんとに隅の隅のほうな存在。
でも、現在の支援って医療がその人の生活のど真ん中にある気がするんです。
それではACTの在り方ではないんです。
精神科の先生についてうすうす感じていたことを今回の講演でズバリいいましたよ、この先生は(笑)


たぶんこれが良いと言ってこのままシステムを模倣する人は出てくると思う。
しかし、それはたぶんうまくいかないと僕は思っている。
自閉症の人のアプローチのティーチもそうですが、構造だけ模倣しても意味がないわけです。
そのシステムの理念というか根底にある考え方によって、このシステムが活きるか死ぬかなんだと思います。
まぁ、知識というやつもそういうもんだと思いますが。
タイトルの「誰もが人として地域で生きる」ってことをどう理解するか、感じるかでACTの質が変わってくるんじゃないかと僕は思うのです。
これを実現するのには、自分たちのオリジナルでもいいと思う。そのままの形でなくて。
これを高木先生はそれでいいのだといっていたと僕は理解している。


そういえば、その人の生活状況がよくなると薬の効き方もかわるらしいです。
わからんでもない。薬は悪いわけじゃない。役に立つ。でも生活の中心に座っているほどの存在ではない。
みたいな感じでしょうか。これはセーフ・・・だよな。


高木先生のプロフィール
高木 俊介(タカギ シュンスケ) 1957年生まれ。京都大学医学部卒業。光愛病院(高槻市)、京大病院精神科、ウエノ診療所を経て、現在、たかぎクリニック(京都市)を開設。ACT‐Kを主宰し、精神科在宅医療に取り組んでいる。