相談することの難しさ

昨日のフリースペースは利用者1名。
今日のフリースペースは利用者4名。
話しをしながら、お菓子食べつつ。
結構話しをして過ごした。


相談について、保健所の相談員さんと話をしました。
相談の仕方って難しいよなぁって最近思うのです。
僕の場合、自分で考えて自分で解決しようとするんですよね。
いろいろあれこれ考えていて。考えているうちにいろんなことをやってみたりして結論に至ることが多いわけで。問題に対するカタチができあがってしまうといいますか。
そういう「流れ」のなかで、どのタイミングで相談するのかというところが問題で。
困っているけれど、解決できないことではないし、なんとか乗り切ってしまうわけです。
もし、相談の練習をするのなら、どの時点で相談を持ちかけるか。
また、どういう話の内容で切り出して、そういう話の展開をすればいいのか。
「相談をする」と構えてしまうよりも、雑談の流れで相談というか困っていることや考えていることを口にしているほうが個人的にはやりやすいのです。
実際、そういう人もいるのではないかと思ったりするのです。
なので、「相談」とするのより「雑談にいらしてください」とか「愚痴を聞きます」のほうがいいのかもしれない。
たとえば、相談の苦手な僕がバイトを始めたとする。
バイトにいきつくのには、あるところの支援をうけていたとして。
なんとかバイトについたときに「困ったことがあったら相談しな」と支援者がいってしまうとうまくいかないのではないかと思うわけです。
それよりかは、「仕事が終わったら今日あったことを報告するように」といった形をしたほうがいいのかもしれない。


これは個人的な話だけれど「相談」というものについての印象。
相談をするといいことがあるって感じがしない(笑)
「自分で考えて乗り越えることがいいのだ」って価値観があるのかもしれない。
相談を持ちかけて、歓迎されることはなく、むしろ責められるような印象があったりする。
なんでそんなこともわからないの?みたいな。おっかなびっくりな感じで。
そして、恥ずかしさという気持ちもある。
こうしなさいって言われて結構自分にそのやり方が合わないと思うこともあり。
なんだろう押しつけみたいな感じで。
たぶん、他にも今までの人生でいろいろ感じてきたのだと思う。
ちなみに、子どものころに「聞くは一時の恥、聞かずは一生の恥」と言われたような気がする。
恥はかきたくないので、僕は聞かないのだと思ったりもする(笑)
話しは少しそれますが、僕はカウンセリングが合うんじゃないかと思ったりしている。
とても、信頼できる人にあるとき最近困っていることを口にしたんですよね。
その人は聞いているだけなんだけれど、僕は自分で自分に問いかけたりしていたわけですよ。
そして、自分で答えらしきものを見つけてすっきりしておしまい。
そんなことが何度かあったので。頭で考えているより、人に話しかけていてるとうまくこたがみつけることができる。
話す人がそばにいないときには、ひとりごとを少し大きめな声で、つまり会話の声でひとりごとをやったりする。
それはそれで意外に答えをみつけることができたりするのだ。
今度は実験的にパペットを使ってやってみようとたくらんでいる。
ちなみに、人に相談というので自分でもひどいなって思ったのが、その人に「あのさぁ」って話しかけてほんの少しの沈黙があって「そっかそっか」と自己完結してしまったケース。
あれはさすがに「自己完結しちゃったよ(、この人)」みたいな突っ込みが入りましたが。
こんな感じが僕は多いらしい。それは、声をかけて何かが始まってそれに至ったわけですから、「あのさぁ」だけで十分なこともあったりするのです。
むしろ、それがなかったら解決に至らなかったかもしれないですし。
そろそろ話しをもどしましょう。
相談の仕方がわからないという前提があってもいいのではないかと僕は思うのです。
また、相談っていろんな印象が僕にはありましたが特に気持ちで強いのは「怖さ」と「恥ずかしさ」かもしれません。
初対面の人にそれを乗り切って話をするというのは、ある意味すごいことなんだと思います。
それどころじゃないくらいせっぱつまっているのかもしれません。
追い込まれているけれど、沸き起こる感情が足をとめているのであればできるだけそういうものをなんとかしたいものです。
そのためには、信頼が必要なんじゃないかって思うわけです。
それは、社会的なということもそうでしょうが、何よりもその人に自分の恥ずかしいことや怖いと思っていることを話してもいいという信頼。
そういう意味で顔が見える関係。
これは相手を知っていても(会話をしていたとしても)、そういう話をしたことがないのなら初対面と同じなんじゃないかって思うソレです。
顔が見えるというか、出会えた関係かな。そういう奥の奥にいる自分と、僕とが顔を合わせて向き合って話をする関係。
そうすると、そういう機会、そこまでいかなくてもそこがゴールであるというのであれば、そこまでのきっかけが必要かな?とさえ思う。
たとえば、何気ない会話をしたことがあるレベル。そうすると交流できる機会が必要ではないかと思ったりする。
もしくは公開トーク。もちろん、相談ではなくてお話をする機会。
ニコニコ動画の生放送であれツールはなんだっていいのだと思う。そんな感じ。
まぁ、そこは今のところ深く考えていないのでいいとしよう。
相談についていろいろ考えたけれど、相談が必要な人って相談がうまくなかったり相談の仕方がわからなかったりするよねって思う。
僕も含みますが(笑)
そういうことを考えて、どうすれば話しやすいかってことを考える必要もある気がするのです。


おまけです。アンコールに応えてもうひとつお話。
「現実逃避」ってありますけれど、あれは結構現実的な手段だと思います。
真剣に問題に取り組みすぎて生活が崩れてしまうのなら、問題を考えない(現実逃避)で現実生活を崩さないようにするってことなんだとも考えられる。
生きることの器用さと名付けてもいいかもしれない。
何を大切にするかってことでしょうか。何を優先するか。
現実逃避の仕方によって、現実の生活が崩れては意味がありませんが、そういう生き方もあると思います。
そして、僕はそういう手段を使えるうまさがほしいと思ったりするのです。