新しくはじまるみたいよ

4月も終わりに向かい、GW間近ですが。
昨日は午前中に子ども若者サポーターズネットえんの相談会がある。
場所はユースクエア。
相談が入るも、周知していなかったこともあり利用された方は1名。
その後訪問が1件あった。


そういえば、月曜日にここらぼの職員の方々が見えて、5月からスタートする事業の告知にいらっしゃいましたよ。
その内容をお伝えしようかと。

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名古屋市ひきこもり地域支援センター
名古屋市在住のひきこもりのご本人やご家族等を対象とした相談を行う機関として、
名古屋市ひきこもり地域支援センターを平成24年5月14日㈪にオープンすることになりました。


開所時間
月曜日から金曜日
午前8時45分〜17時15分


相談(予約制)
名古屋市内在住のひきこもりの状態にあるご本人やそのご家族等を対象に、専門の相談員が相談を行います。
相談を希望される場合は事前にお電話ください。
052−483−2077


場所
名古屋市精神保健福祉センターここらぼ
名古屋市中村区名楽町4−7−18
中村保健所等複合施設5階
東山線 「中村日赤」徒歩10分
市バス 「中村保健所南」徒歩4分 「大宮町」徒歩7分
名鉄バス 「中村保健所南」徒歩4分
※お越しの際は、公共交通機関をご利用ください

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聞いた話だと、ここらぼでの相談は1回のみだったと思いますが、今回のこの相談は複数回OKみたいです。
また、精神科の病院で診断を受けている人は相談の対象外になるようで。
そうなると、うちのフリースペースや相談を受けている人のほとんどが利用対象外になるわけです。
となると、外とのつながりがほとんどなくて困っている人という感じなのでしょうかね。
みつ屋の活動からだと少し現実味がないので、診断を受けた人は対象外という話は聞き間違いなんじゃないかと自分の記憶を疑っています(笑)
まぁ、スタートに描いていたことは活動を続けるうちに、やれなくなってカタチが変わっていくわけです。
もしかすると、ここらぼの相談会数が1回のみというのも、相談に来る人や周りの声からやっていけなくなって今回へつながったかもしれない。
現場の人もこれではやっていけないと、上に話しをあげたのかもしれませんし。
なので、不都合なことは「要望」として伝えていくことが必要なのかもしれませんね。
それがなければ、「このシステムでいいんだ」と思って動かないかもしれないので。
それと、何よりスタートした事業なので、人員や経費がそれほどでていないので、現状でやれる範囲ということも考えないといけないでしょうね。
「そんなシステムじゃやっていけないぞ!何を考えているんだ」なんてことは現場の職員さんは重々承知しているところかもしれませんし。
個人的には「ひきこもりの相談窓口はここですよ」といったのがわかりやすくなってよかったのかなぁと思っています。
「ひきこもり」とかかげているので、相談する側としてはわかりやすいんじゃないですかね。
スタートを切った。この事実が大切なんじゃないかと思います。
それがどんな意思を持っているかはとわず。
時間はかかるかもしれない。しかし、スタートをしなければ何もはじまらないわけです。
たとえ、5年後に今よりいいシステムでこの事業のスタートを切ったとしても、僕は今現在の在り方のほうがいいと思う。
そこには実際に5年やったという経験がありますし、何よりどんなにいいシステムが未来につくられようとも
今現在のつらさで苦しんでいる人には、救いにはなりませんからね。
やっていてもシステムを練ることはできますから。


詳しくはここらぼさんに聞いてみるといいでしょうね。現在では、まだ開設していないので。
今書いていて、望んだ結果がでないことは無駄であるって考える人がいると思うんですよね。
僕も思ったりしますが。
あまたの中で考えてダメだって結論だすより、やってみてダメだってわかったほうが僕はダメだということを知ったことになると思う。
なんでもかんでもやってみるというのは違いますが(たとえば、犯罪や倫理に絡むようなこと)。
やってみても意味がなかった。
それがわかっただけでも十分だと思う。どう意味がなかったのか。他のことでは役に立たないかどうか。


子どものころに暇をもてあましていたとするじゃないですか。
そのときに、グダグダ過ごしていたとして。
そこで、「そんなことしてないで、宿題でもしないさい」といったとするじゃないですか。
たしかに、宿題はやるものかもしれません。そして、意味もあるかもしれません。
しかし、暇な時間をどう過ごすかということを学ぶチャンスを奪うことにもなるんですよね。
こうしたこと以外にも、「意味のあること」をやり「(一見すると)意味のないこと」を強くいってしまうと排除するということになる。
これは、不都合で。さっきの「意味のないこと、無駄なことをしたくない」ということにもつながってきそうな気もする。
相談のなかでも「余暇の過ごし方」というのが悩みのポイントになる。
その時間をどう過ごしていいかわからずに、ストレスをためてしまうわけですな。
ちなみに、特別支援(だったかな?)での自立を考えたときに自立の条件というのは3つあり「住む場所、仕事、余暇の過ごし方」というのが挙げられている。
人が生きていくうえで余暇の過ごし方というのは重要で、ストレスを軽くするという面を持っていたりする。
それ以外にも、頭をきりかえたり、楽しんだり、リラックスしたり、リフレッシュしたりいろんな面を持っていると考えられる。
さっきの話に戻しましょう。
余暇の過ごし方を親が与えてしまったりしてしまうと、自分で余暇の過ごす方法を考えられなくなるかもしれません。
だからといって完全にひとりにまかせるとなると、ひとりではみつけることができないかもしれない。
どんどんみつけていく人もいますが。
無駄な時間をどう過ごすか、余った時間をどう過ごすか。
グダグダ過ごすこともいいでしょうし、何かをやってみるのもいいでしょう。
いつかは、自分に合ったそれがみつかればいいのです。そのための材料になればいいのだと思います。
未来は結果論ですからね。なんだって良いように結び付けられるのですよ。
今その意味を見いだせなくて当然です。未来には、自分でも予想しない時が待っているのですから。
なんて教祖様みたいなセリフですな。
意味を見いだせないというのはすごいチャンスなんじゃないかな。
いままでの経験からして、まだ結果がでてきていないものだから。
未知なるものといいますか。「意味が見いだせない」というのは、新しい自分と出会う前のサインかもしれない。
だから嫌わないで大切にしてほしい。



なんだかいろいろと話が浮かんできてしまうのでここでストップ。
文章が完全にまとまりを見せなくなるので。
まだ書くことがあるけれど、それは次に書きます。とりあえず、ここまで。