本が完成

今日は午前中に訪問が1件。
午後からフリースペースがある。
利用者は1名。はじめての月曜日の利用。
話をしながらお菓子をつまみつつすごす。
明後日は鍋です。参加費は300円(フリースペースの利用料100円とは別)です。
ひとつはまともな鍋でもうひとつはそれぞれのかたの持ち寄りの鍋です。
時間は17:30〜20:00時を予定しています。参加されたい方、どうぞお待ちしております。


 そういえば、今「繭のなかから」という、まちかどサポートセンターで行われている相談会の支援者が声をかけて作った本を読んでいる。そこに載っているのは、相談会に見えているお母さんやお父さんの気持ちであったり、不登校だった人やひきこもりの本人の思い、支援者の投稿もあったりします。何気に僕も載せもらってます。これって初めて本に載った(ISBN取得してます)ということだよね、すげぇな。読んでいる途中だけれど、それぞれの思いというのはそこから伝わってくるものがありますね。結構、スタートとされるところから現在まであっという間に書いてありましたが、その1日1日というものはとても重く苦しいものだったと思うのです。そして今もなお歩み続けているのでしょう。文章にして書くというのは結構エネルギーがいりますからね、自分のつらい体験を書くというのは特にそうだと思います。それは親御さんもしかりで。なんだか読んでいて圧倒されました。

 人の危機って特殊なことだと思われるかもしれないですけれど、そうでもないんですよね。たとえば、小中高、もしくはそれ以上でいじめにあったとか、学業面ややってきたことの挫折ということで立ち止まることもあるでしょう。そういうのがあって、不登校やひきこもり、精神科や心療内科にかかるに至るという流れを連想されるかもしれません。そうすると、大学まえくらいまでをのりきれば無縁になると思うかもしれませんが、そうでもなくて。
 たとえば、ずっと周りともうまくやっていて、まじめに働いてきたけれど突然のリストラにあって再就職できないでいて、そこから家族につめたい風が入り込んで崩壊したり、自分の大切な人を亡くして立ち直れなくなったり。それは親を失うということもあるかもしれませんし、もしかすると大切なペットを失うことかもしれません。それは寿命かもしれませんし、事故かもしれないし病気かもしれない。事故によって、身体に障害が生じることで心に大きなダメージを受けるかもしれない。それは火傷のようなものでも人生を狂わされるかもしれない。高齢になって、身体が次第に動かなくなり社会から必要とされないと感じることによって孤独感を抱いくかもしれない。人生のどの段階にも危機はあるもので、特別なことではない。
 街中を歩いているときに、友達と楽しそうにショッピングをしていたり会社から帰ってきている人を見て、訪問で関わっている人も、何か少し人生がことなるだけでこういう毎日を送っていたかもしれない。逆に、この街の人たちも何か少し違うだけで、お薬を飲みながら毎日苦しんでいる人になっていたかもしれない。そんなことをふと思ったりする。本当に紙一重なのかもしれない。もしかすると、時がもう少し経つとお互いの生活が逆になってしまう気もした。それはもちろん僕自身にもいえていて。

 これは結構訪問のあとに思うことで、いつかは書こうと思っていたけれどなかなか書く機会がなかった。なんとなく、本のことを書いていたらそのまま書きたくなったりした。