素直な子ども

どうも、「むずかしい」が口癖の木田です。


今日は午前中に訪問が1件。
その後に時間があったので、名駅にいって本を買ったりしながらすごす。
最近、頭を使いながら現在や過去を行ったりきたり。
悩みといいますか。
カウンセリングやセラピーであったり、自分のパーソナリティなどいろいろ
考えていることが多い。
そんなときに、久しぶりに本屋で以前読んでいた本を手にとって目を通すと
なんだか頭のなか、首から上で一生懸命こねくり回していた感じがした。
ダイナミックな感じが足りない・・・。
そう感じたのは、その以前読んでいた本からだった。
最近、僕の中で興味を持っているのはゲシュタルトセラピー。
大学にいたときから興味を持っていたけれど、読めば読むほど興味深い。
大学のときは少しズレて理解していたけれど・・・今もどこまで正確に理解しているか
わかりませんが、読んでいて楽しい。
建前と本音でぐるんぐるんして、建前だが本音だかなんだか自分のことが
わけわからない人にはいいのかなぁと思ったりして。
楽しいときは楽しい。つらいときはつらい。悲しいときは悲しい。
頭で考えたりするよりも、まず自分の感情に気づいてそれを表現する。
大切だと思うんだ、そういう素直さというのかな。うん。
その他、なんかいろいろと面白そうな本がたくさん並んでいたよ。
本屋は面白い。ちまたで話題の本を片っ端から読んでも面白そうだ。


夕方から人と会ってくる。
「気づき」ということが重要であることを痛感した。
無理やり気づかせてもそれがどれくらい重要かピンとこなかったりするんじゃないかって
思いましたよ、うん。それはこちらが指摘したものではなくても。
本当に気づかないといけない部分を気づかなければ、今回の気づきには
つながってこないような予感がするのです。
じゃあ、その気づきが生じることで、今の道をとらなかったら?
この話し合い自体が意味がなくなる。
それはそれでいいのかしらね。
経験の浅さが出た気がした。
う〜ん、気づきというか明確化かしらねぇ〜、まぁいいわな。
悩みを抱えていてもそうかもしれない。
指摘や解釈によって気づきを得るというのは、相手が本当にそれに対して
知りたいと思っていて、なおかつそれを受け入れられるかどうかというところ
なのかもしれない。
まぁ、受け入れられていたら、すでに自分で気づいて変化が生じているかも
しれないよねぇ〜、うん。


素直って大切ね。
本当、大切だと思うの。
それができるのって意外に小さい子どもと遊んでいるときだったりする。
相手は素っ裸。だから自然とこっちも素っ裸になるんです。
癒される。うん、セラピーだな。
優しくて素直な人間になりますように・・・
なんて贅沢な願い事を大人はしていたのだろうか。
そんな人がいたら、人間としてまぶいです、個人的には。はい。


まぁ、難しいねぇ。