「継続」や「意味」

今日は訪問みたいな感じが1件。
その後、メンタルフレンドみたいなのが1件。


寝るために寝ようと意気込む時点でもう寝れないだろう。いかに構えをつくらないか
ということが、たぶんそれを達成する秘訣なんだと思う。
何かをはじめるときに、「どれだけ継続をするかが課題」ということを描いていると
おそらく継続することは難しいと思う。
たとえば、ダイエットをいかに継続するかということを考えていると
継続するのは難しいだろう。やりたくないという意思があるから
継続しないと、という意思をもって挑むのだろう。
飽きっぽい人が、継続を望むなら最初から継続なんてあきらめて
とにかくそれを楽しむのが大切だと思う。
楽しんでも、そうでなくても飽きてしまうのだから。
どれだけ構えないか。それはみつ屋の活動スタイルのひとつだと思う。


何か問題を抱えていて、たぶんその問題をいかに考えない時間をつくるかが
ひとつ攻略のポイントになるだろうと僕は考えている。
いかに力を抜くか。いかに「しない」か。力をいれないことを「する」のではなく
シンプルに「しない」か。
問題から目を離せていない無意識の発言に「それは意味があるのか?」という
言葉がある。
問題から距離を置くことが大切なのであれば、いかにその人に「意味がない」と
思うことをやってもらうかがポイントな気がする。
リラックスする、問題から距離を置くことを目的とし解決する「ために」それを「して」
もらうとなると、やはり、先ほどの寝るためにと構えてしまうのと同じだと思う。
いかに「しない」かということが重要で。


焦っていたり、ずっと悩んでいたら「しない」ことは難しいだろう。
その困難と今の問題の解決、果たしてどちらが楽だろうか。
同等の困難を持っているのであったら、それこそが解決のヒントの狼煙になっている
気がするのだ。


「して」きたことが多すぎるなら「しない」ことも感じましょう。


なんてことを僕は思います。