依存症をまなぼ

今日は豊田へいってくる。
依存症をまなぶということで、いってまいりましたよ。
当事者の方が話しをしていただいたのですが、大勢の前で自分のプライベートな
部分を語るというのは、なかなかできることではないのにすごいなぁって思いました。
アルコールや薬物だったので、警察沙汰になることなんてざらで
そういうことってなかなか人前で話すのって。
そして、自分の過去にも触れるわけで。たとえ、声に出せる範囲であったとしても
気持ちがゆさぶられるのではないかって思っていました。
もちろん、今も、これからもずっと付き合っていかなければならないのですが
そんななかで話すというのもね。
ちなみに、参加した人はかなりいらっしゃいました。
座席がいっぱいでした。


ほんとうは、個人的にその人の話をいろいろ聴きたかったのですが仕方ないですね。
そうそう、僕のなかで重く残った言葉は「一生依存者として生きる」ということで
普通にはなれない・・・ですね。
知識として知っていても、人の口から聴く、当事者から聴いてしまうとそのインパク
はかなり違いますね。
でも、これって、この人たちだけでもないんじゃないですかね。
たとえば、人が離れていってしまうくらい甘えてしまったり、自分の生活が
安定して送れないくらい不安を描いてしまったり・・・
そういうものを持っている人たちも、そんな自分と共に生きるというのは
いえるのではないかって思っていたりします。
治療もそうですが、そういう生きた方もあるって思うんですよね。
ただ、それがあきらめなのか、受け入れなのかで異なる気がしますが。
いずれにせよ、そんな自分と共に生きるということはかわりはないでしょう。
なんてことを思いました。


あ、それと、「実感」って大切だね。
楽しいこと、嬉しいこと、積み上げてきたことそういうものの実感。
そんな気がします。



追加で
薬物依存の患者に薬物で治そうとするのは、違うんじゃないか?
アルコール依存に対しても、薬物でのアプローチは違うんじゃないか?
というのは、印象的でしたね。
当事者の方も、その薬物の依存になりそうだったから使わなかったという人も
いました。