交流会
今日はテーマ別交流会へ行ってくる。
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僕は不登校の親がどういった想いを抱いているのか聴きたくて(いや、感じたくて)参加した。
「子どもが学校に行かなくなったとき」と「子どもと親のコミュニケーション」の分科会にでる。
具体的にはここでは書けないけれど、親の想いというものの一部であるが知ることができた。
正直、感じることができたというと、嘘(いいすぎ)になる。
それは、僕自身の未熟さを感じるところだ。
ここからは技術的な話し。
「子どもと親のコミュニケーション」のなかで、「待つ」と「話しを聴く」いうのがあった。
「待つ」というのは、少し新鮮な言葉だ。
子どもに積極的に関わる(あれは?これは?とどんどん提案する)のではなく、子どものペースで動く
という感じだったと思う。
そのスタイルは、僕もとっているが・・・
最近、僕は僕のスタイルに疑問を持っている。
誰でも彼でも待つことにフィットするだろうか。
時には、こちらから動く必要があるのではないか。
話しを端折って、結論だけ言うと積極的に関わるときも必要だ。
ただし、それは、その人と僕との関係性によるものであって、その人に対して僕と同じように
関わることが必ずしも有効ではないと思う。
また、僕がそのスタイルを、関わる誰に対しても全く変わらず貫き通すことで
誰かといい感じの関係を築くことは出来ないと思う。
ただ、先にも書いたが、一つの関わりの技術として「待つ」というものがあるのはいいのかなぁと感じた。
もう一つは、聴く。
これも技術的な話し。
これはよく「受け入れる」ことをしようと思いながら聴こうとする。
しかし、僕は「受け入れる」ということではなく、「受け止める」ことが必要だと思う。
もちろん、「受け入れる」ことは望ましいのだが、「受け止める」ということを
意識するだけでも、聴くという姿勢は変わるのではないかと思う。
今回のような交流会はともても興味深い。
次もこういったものがあるなら出席したいと思った。