実感

この前に出たシンポジウムでも言われていたが・・・
情報の共有というのは必要だと今日感じた。
何が(どういう状況が)得意で、何が(どういう状況が)苦手でというのを一般知識で知っていてもあまり有効ではない。
個々の情報が共有されなければ、新しい状況、もしくは、新しく関わる人と出会うときに、
毎回毎回しんどい思いをしなければならない。
それは、関わる人間にとってもしんどいが、本人も同じように(いや、場合によってはそれ以上に)しんどいのではないだろうか。
IEPって学校だけの話しではなくて、それはそれからずっと先その人が生きていくなかで必要なのではないかとさえ思っている。



実は、今実感したことは、アメリカのノースカロライナ州で実践されているTEACCH(ティーチ)の9つの理念の1つである
「生涯にわたるコミュニティに基盤をおいた援助」にあたることだ。
ようやく、大学で学んだことの一つが実になったかなぁと感じる。



そういえばIEP・・・僕自身、曖昧に使っているが、僕が2年前に学んだときのIEPとは・・・



IEP(個別教育計画)
アメリカにおける、障害を認定された全ての子供にたいして作成することが
法制化された一種の契約文書(そんなプランは気に入らないと親が言ったら作成したものが成立しない)。
日本にも、類似の個別指導計画がある。



個別指導計画
法制化されていない。契約ではないのでNOといっても成立してしまう(実際は、学校と親が良く話し合うと思います)。
単元、月ごと、学期ごと学年ごとに、目標や指導の手立て、評価をしていくものである。




たしか、アメリカのIEPって、その情報が医療であったり、福祉、労働といった領域でも情報が共有されるとか
そんな感じではなかったかな。
個別指導計画というのは、結局は学校で学習(広い意味で)に関することで、それが学校を離れた後も活かされるかは
わからない・・・ような感じではないか。
現在がどうなのかはわからないけれど、厳密にいうと日本の「個別指導計画」はアメリカのIEPとは異なるものだったはず。




まぁ、でも、そんな細かい部分よりも、情報の共有化は必要だと感じたのだ。
学校で持っている個人の情報(もちろん得意、不得意の話しですよ)と親が把握している情報等が
もっと関わる場所にも共有されると、少しは生活しやすくなるのかなぁと思った。



明日はテーマ別交流会がある。
どんな感じなのか楽しみです。