つながり

 コミュニケーションで一般的な人の話しを聴くときのマナーや、話しをするマナーというのがあると思うわけですが、それを知っているということは大事なことだと思います。

 その知識は初対面の人や、ある程度距離のある人であればその知識を持ってふるまう必要があるでしょう。それはお互いが嫌な思いをしないということで大切です。

 ここでマナーを知っているからできるかどうかと、知っているか知らないかはわけたいところです。知っていても難しいことがあります。たとえば、人の話しを聴いていて話しの腰を折らないと知っていても、ついつい話しを遮ってその話しが流れてしまうことがあります。もし、知識を知っていれば、今の行為が好ましくないと認識できて、リカバーすることができるでしょう。しかし、知らなければそのまま通りすぎてしまい、周りの人から悪い評価を受けるでしょう。そこから少しずつ疎遠になったり、距離が縮まらないということが起きたりします。

 マナーは知っておいたほうがいい。そして次の段階として、そのマナーを知ったうえで自分がどう吸収し、どうふるまうのか。自分なりの無理のない形があるといいのかなと思ったりします。

 とはいえ、マナーを気にすると結構窮屈ではあります。だからこそ、仲がいい人というのはいいもので。マナーや一般的な常識なしで関わっても離れないという関係。それは時に掛け替えのない存在になるのではないかと思います。

 たとえば、会話の流れを無視して、思いついたことをお互いが話したり、とても形式ばっていてお堅い感じではあるけれど、お互いには癒しのようなものであったり。ルールはお互いのなかでのルールで成り立っていてそれは一般的なものやマナーとは別のものであってもかまわなくて。

 そんなことを考えたりします。

 とはいえ、そういう人とと出会うことは結構難しかったりします。ある程度、仲がよい関係でも、「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるように、やはり配慮すべきことというのもあります。

 それをこえてしまう存在がそこにあったら、どれだけ幸せを並べても比較にならないくらいなのではないでしょうか。

 会話をしている実感。自分がそこにいる実感。そんな会話ができる相手がいる。会話はひとりじゃできませんからね。いいですね、そういう存在。

 でもやっぱり、そういう人に出会うというのは、自分の好きなことを追いかけた先に出会うのではないかと思ったりします。好きなこと、楽しい事。楽しいと感じられる余裕。大事ですね。自分の中に楽しいと感じられるもの、夢中になれるものがあったら、それは大切にしたいですね。そんなことを思いました。