お手伝い

 最近、忙しいを盾に更新していなくて申し訳ないです。
何かひとことでも書くとよかったのですが。

 お手伝いをするということの認識の違いというのを感じたことがありました。
たとえば、奥さんが「お皿洗いが大変で、片づけを手伝ってほしい」というお願いをしたときに
旦那さんが食洗器を買ったとします。

 これを聞いたときにあなたはどう思うでしょうか。

 僕もその解決はスマートだと思う。

 そう思った人。これは残念ながら最適解ではないです。できることなら、彼女の望む食洗器は何か
色や形、性能、価格それらをすべてリサーチをして・・・

 ということではありません。確かに、それは少しマシになりますが、そもそも問題はそこではないということです。

 食洗器を買ったのはよしとして、それを使うのは誰なのかという問題。おそらく奥さんなのでしょう。
それでは全く問題の解決になってはいないのです。

 要は食器洗い役をやってほしい。それを要求するのは酷だと思うからしかたなく、役割を半々にしようという提示なわけです。
役割を担わないというのは、答えとして適切ではないと思われます。

 お手伝いと助言も違います。「食洗器を買ったらどうか?」と提案してしまう場合もNGとなります。
こうした振る舞いは、場合によって相手の気持ちを逆なですることがあるので注意が必要です。
とはいえ、相手の気持ちを察するというのは難しい。そんな場合には、ニーズを聞けばいいわけです。
手伝いをお願いされたら、自分のやってほしいことは何か?結論や解決策よりも、まずは何役で何をするのか?
というところをしっかりと押さえたい所です。

 ASD傾向のある人によくありそうな事例です。ちなみに、発達障害という枠の話しで、食器洗いがその人のとってどういう大変さがあるのかというのは見落とさないように注意をしたいところ。感覚的な過敏であったり、特性であったり、断ったとしたらその理由をひも解く必要があります。思いがけない理由がそこにあったりするので、無理にやってほしいと押し込んでもうまくいかないことがあります。

 いろいろ考えると話しがどんどん膨らむのでこの辺で。事例をあげると脳内で膨らみすぎて収集がつかなくなるのもちょっと困りますね(笑)