人材育成

ひきこもりの関係の方とのやりとりで、人材の育成の話題があがりました。
そこからいろいろ考えた事を少し書こうかと思います。
育成ということであるなら、実際に一緒に関わってその都度そのときの振り返りを行うというのが僕の中で、育成という結果がでるように思えます。今だから言いますが、フリースペースをやっていたころ、ひとりのスタッフの方と毎回振り返りをしていました。それぞれの利用者さんの体調の把握、どう関わるか、お互いに本人の気になったところ、それぞれの関わりで気になったところ、何を感じたか、そのときにどういう着地点に降りれたらその時の関わりとしてOKとするかなどいろんな話しをしてきました。場合によっては来週のことも想定したり、利用者さんが来る前に現在の体調からどういう部分を気にかけるか、体調の変化、具体的にどう声をかけるかなど。
はじめのうちは、僕も何を話すかというのを困りましたが、どういう理由でそう動いたのか、目的は何かということを伝えていました。また、自分が関わりで感じたことを素直に伝え、それはありつつもどうしていくのか?ということも。そのことは僕にとってもいろんな気づきにもなりました。また、スタッフさんの関わりでいいと思うところはできるだけ吸収し、自分の形としてできたらということを思っていました。
そうしたこともありさまざまな体験をしたスタッフさんが、みつ屋以外のある場所で、その場所になじめない人と出会いました。その人は問題行動が多くそこにいる人たちもストレスを感じていました。そこでどうすればいいのか?というのを聞かれ、基本的にどういう気持ちの置き方で、どこまで関わるかということだけ整理して話しを終えました。実際の関わり方は、今までのフリースペースの経験からたぶん大丈夫なんだろうと思っていたからです。それから、その人との関係が変わり、またその人の状態も好転していったとうかがいました。
僕もそのスタッフさんが最初のころの関わりからくらべて、立ち回り方、このフリースペースで何を大切にしたいのかということが身についたように感じました。もちろん、それによって僕らスタッフが利用者さんにとって満足いく関わりができたかといえば、やはり至らないことも多々あったと思っています。
振り返りでの会話はお互い何を考えているか、ある状況で何をしてほしいかというのをあまり言わなくても、動けるようになったということも実感します。会話の大切さ、情報の共有というのも僕は実感しました。


おそらく、育成する側も、受ける側もお互いが安心して行えるというところがひとつとして大事なことであるかと思います。また、誰かの実践を見れ感じれ考えることができるというのも大事なことだと思います。そういう意味で訪問の活動は難しいです。自分に対して常にこれでいいのか?という疑問をうまく自分にぶつけ続ける必要があるからです。でも、結局自分の皿を見ていても今までの自分しかうつらないという食戟のソーマにあったセリフではないですが、そういうことなんだと思います。自分の関わり方を振り返っても、そこには今までの自分しかうつらない。自分の描く世界(価値観)の外に関わりの答えがあったらどうするのか?そこに限界があることもわかりながらやっていかないといけないと思うのです。


そういう意味でも、関わっている人を観察しながらもやれる環境は大事なことだと思います。
最後に、育成という話しをするとどうしても、相談できて解決する力がある人を多く輩出したほうが、状況が良くなると思うかもしれません。たしかに、間違ってはいないと思います。そうした支援者としての人材は不足していると感じるからです。ただ、日常にはいろんな距離の関係があるわけですからね。どの距離の人がその人にとって心の支えになるか、生活の支えになるかはひとそれぞれですから。それは大切で、忘れないようにしたいですね。