お互いの違い

僕の生活。ルーズな人よりの視点。
可燃ごみをださないといけないんだけれど、結構ため込む。
いっぱいになっても可燃ごみをださないことがある。
そういうときは、そいつをしばってしまって邪魔にならないところに置いて次の可燃ごみの時に出す。
ジャンプやマガジンといった雑誌を買っていて、家に何十冊とたまる。
見ると2年近く前のものも発掘されることもある。
とりあえず、結構たまったらだそうと思っている。
ちなみに、月1度の回収頻度。
気にならないの?って思うかもしれないけれど、あんまり気にならない。
むしろ、きっちりとそうなる前に行動することのほうがつかれる。
たぶん、身の回りをきちんとやる真面目な人にとってはその生活は受け入れがたいかもしれない。
でも、僕が動き出すのはそれくらい。
危機感とまではいかないけれど、行動することの必要性や行動するというエネルギーがたまるのがそれくらい。
真面目な人ならたぶん気をもむんだと思う。
その人は、僕よりも早い段階で、出さないとと思ったり行動するエネルギーが出てきたりするんだと思う。
お互い違うんですよね。
危機感だったり、それに対する行動しようと思う時期が。


いろいろ話し合いの場でもそうだと思う。
僕はそれほど重要でない話しをしているときは、思いつきで後先考えていないことが多い。
インスピレーションを大切にしているというとちょっとはかっこいいかもしれない。
しかし、重要な話しになると結論までしっかりできあがるまであまり口にすることはしない。
人によっては何事も自分の頭のなかで結論がでるまで口にださない人もいると思う。
頭のなかで整理しないと口にしないでも、とにかくなかなか言葉の表現が少ない人がいたとして。
そうするとある人は何を考えているかわからないとイライラしだすかもしれない。


こうしたことは他人ならまだ距離がとれる。
でも、家族でそれぞれの性格が異なっていてつかみどころがないと苦しむことが多い。
また傷つけあうことが多い。
わからないことがあったらきけばいい。
違いがあったら話しあえればいい。
でも、そうじゃなくて、自分のやり方、答え、流儀を押し付けてしまう。
ときにあきらめたり、切り離したり、見捨てたり。
簡単なことじゃない。
自分がずっとやってきたコミュニケーションのスタイルだし、ずっと今までそうやって関わってきた関係だから。
また、自分がコミュニケーションを見直そうと思っても、相手がかわらないと結局力尽きてしまうことが多い。
ただそこでは、自分の関わり方をかえりみることに意義があるんだと思う。
できたかできなかったかではなく。
それだけでも見える世界は違ったりすんじゃないかなぁ。


お互いが国家のトップだったら、もしかしたら戦争になるんじゃないかってくらい考えが違うかもしれない。
ドラゴンボールだったら、出会ったころの悟空とベジータみたいなもので。
でも家族だから、そんな二人も一緒にいないといけない。
どこか分かり合えないと心の底がひんやりするかもしれない。
お互い良いところはあるはずだから。
そうすれば、少しは相手の存在を認められるんじゃないかな。
許せるというか。なのかなぁ。