そういえば

発達障害の家族の集いで話題にあがったひとつに
「障害を受け入れられない」という問題がありました。
それは本人であれ、親御さんであれ直面することで。
障害を受け入れるということはとても難しいもので。
診断を受けてそこから大きな人生の転換が起きたりします。
障害を受け入れるというのは、もしかすると、その時に失ったもの、つかまされたものを受け入れるということなのかもしれないですね。
いったい何を失ったのだろうか。いったい何をつかまされたのだろうか。



昨日は大府で子ども若者の支援の会議にでてきました。
実際に相談場所も設置し、動き出したけれど足りない資源やさまざまな課題があり。
スタイルというもののこれから確立して、よりよく連携できるといいと思ったりします。
個人的にとても将来もっといいものになるんじゃないかなって思ったりします。


そうそう、結構いろんな専門機関の方がいましたが、地域に近い方もいて。
もちろん、僕らは専門的な知識や経験があるのはそうなんですけれど。
僕らだからこそできないこともあるんですよね。
僕の活動も日常のところで活動していますけれど。
たとえば、日々の生活である人の家にいってちょっと顔をだしたりする。
「調子どうです?なんか生活のことで困ったことあった?」これでOKなのです。
気にかけて見に来てくれる方がいるだけで、安心だったりするんですよね。
そういうのを定期的にできるかといえばなかなか人員やら交通費などの問題で僕らだとやりにくくて。
むしろ、地域だからこそできるちょっとしたことが、とっても重要なんだよなって思っていたりする。
そこから未来は始まっていくと思うし、そうした関わりが未来を支えていくんじゃないかなって。


僕らがやることは結構大きなことだったりもして。
その人にあった仕事をさがしてみたり、行けそうな場所さがしたり。
新しい一歩を踏み出すためにどうするか考えたり。
今悩んでいること、人生の課題みたいなものに取組んでみたり。
それも大切だけれど、たぶん人生を支えるとなるのはもっと地域の身近な存在なんだと思ったりする。


できるだけ、そういうところの橋渡しにもなりたいなって思ったりしてます。