水曜日

昨日は千種保健所の発達障害者の家族の集いへ参加。
ここでのお話の中で、ネガティブな思考をポジティブにしたいって話がありましたが。
それができるというのも、ひとつ大切なことなんだと思います。
たとえば、ちょっと、ネガティブに考えそうだなって思った時に、違う見方をすることで、気持ちの落下を防ぐことはできるかもしれませんね。
結構落ち込んでいるときってポジティブな方向ってむけられなくて。
むしろ、ネガティブに発散するといい感じに気持ちが軽くなったりするんじゃないかなぁって思います。
たとえば、かなり落ち込んでいるときに、頑張れーって歌よりも悲壮感漂う歌のほうが聞きやすかったりするじゃないですか?
落ち込み度合いによって、ポジティブ変換を用いるかそうでない方法を用いるかってところで考えたほうが、ストレスと付き合いやすいのかなぁって思います。
それと、ネガティブ思考になっているときは、ひとりで考えないことをおすすめします。
こういうときには、どうやってもうまく脱することはできにくいです。
結構いい手段としては、同じような感じの人と、ネガティブな話を共有するってことでしょうね。
そうすると、意外に笑って話せたりするものです。
仲間って大事だよね、だから。
これは親御さんだけじゃなくて、本人もそうですが。
余裕がでてくると、ユーモアやブラックジョークも出てくると上級者でしょうね。
気持ちがすっきりすれば、また、きちんと頭を整理して状況を見れたりすることができるので、気持ちの面を整えるためにいったんそういう場にでかけるというのは良いものだと思います。
また、集いのなかでもでましたが、仲間だからこそ共有できるところってあると思います。
雑なたとえですけれど、「あるある〜」って同じ状況でない人、まったく平穏にくらしていそうな人にそういわれても、わかってないとか、一緒にするなって思ったりすると思うんですよね。
まさに、そう思ったら仲間がいそうなところで毒を吐くといいと思います。
それは、仲間で話をするのが合う人のサインだと思うので、おすすめします。
自分の子どもの悪いことはいいたくないとか、本人の前でなくそういうことをいうのに抵抗があるというのでしたら、それは今うまくいっていない状況のひとつの種なんじゃなかいかって思います。
それで、気持ちがうまく保てていればいいですが。
それができなくなって、爆発して本人にとても生きていられないような暴言を吐いてしまってはうまくないですよね。
本人を思うために、うまくかかわるためにそこで毒をはく。
そう考えることもできますわな。


集いの中で、なぜ自分の子どもが発達障害だと気づけないかという話。
他の方が、気づいたところから問題が発生するみたいな発言がでたような。
まさにそうだと思います。
気づかないで、そのまま生涯を閉じたら、それで問題ないわけですからね。
でも、発達障害であったという事実は変わらないわけで。
気づいたか、気づいていないか。
いや、気づいたとしても、生きづらさが生じているか、生じていないかというところなんでしょうね。
もちろん、親子で似ているので、旦那に似てるなぁ〜でやり過ごすこともありますよね。
んで、実は旦那さんが発達障害だったと。
他の人と違うかどうかなんて、さまざまな人と一緒に生活をずっとしていないとわからないものですよね。
僕も相談を受けていて、お風呂に3日に1度入るようになりましたって聞いて、それから入った入っていないなんて聞いていると、それが当たり前のようになりますからね。そして、毎日入ることにはっとすることがありますから。
まぁ、実際それくらになれば、発達障害の問題はなくなるんでしょうね。
その人にとっての当たり前の生活に、こちらが違和感をなくしたときに問題は解決されるみたいな。
だから、その人が発達障害であることが問題かどうかではなくて、周りとの折り合いがつかないことが問題で。
どんなかたちの「ふつう」であれ、その人であったり、周りの人がその生活に問題を抱えなければ、日常をそれなりに過ごせるのであればいいのではないかと思ったりするのです。


そうそう、ひきこもったりすることで発達障害の独特さなどが加速するというはなし。
これは、個人的な見解ですが。
ひとつは、型にはまっていると、みんなそれなりになるんだと思います。
たとえば、りんごの絵を描きましょうといえば、みんなそれなりにりんごを描くと思うのです。
ちょっと変わっているにせよ、りんごであれば気にならない。
ただ、自由に描いて良いよっていわれると、その人のオリジナルがでてくるわけじゃないですか。
自由に過ごす時間を見ると、その人の独特さが浮いてきたりするのではないかと思ったりするのです。
もともと持っていたけれど、それは型にはまっていて見落とされていた。
それが、型からはずれて独特さが表現される機会が増えた。
それがひとつ。
もうひとつは、自由とはいえ、あまり心地の良い自由ではないですよね。
ストレスがそこに生じているのですから、さまざまなこだわりが強くなったりすることはあるでしょうね。
最後に、本人と関わる機会が増えたということでしょうね。
わかっているつもりでいてわかっていなかったといった。
小学校とか、年齢の低いときには結構同じ時間を過ごしていたと思います。
目の届く範囲でみていて。
しかし、年齢を重ねるとだんだん距離がでてきて。
まぁ、それで巣立っていくのでしょうけれど。
距離が離れつつ、本人は変化はしているわけですから。
見失うこともあるでしょう。
それと、子どものころは、結構「子どもだからあるわよね」ですまされていたかもしれません。
ただ、大人になっても実はそういう部分が残っていて、違和感を覚えて気づくってこともあるでしょうね。
見落とされつつ、成長してなんかひどいことになってるって思うのかもしれません。
実際にストレスなどで、その独特さが加速することもあります。
その他、関わる機会が増えたこと、今まで気づかなかったけれどもとからそんな感じでしたよってことも考えられますよね。
なんてことを思ったりもした。


そんな午前中を過ごしながら、午後からフリースペース。
利用者は4名。
ボランティアさんがいなかったので、なんかとても少なく感じましたがひさしぶりにゆったりと。
パソコンの授業(笑)をやっていたり、就労の話をしたり。
そんな感じのフリースペースでした。
2月の最初の火曜日に節分の軽いイベントをやろうかと思ったりしていますがどうなることやら。
とりあえず、2月のことよりも来週のことで。
来週はローズウィンドウがあります。
参加費は600円(場所代含む)です。
対象は不登校、ひきこもりの方でやってます。
どしどしご応募お待ちしております。