セミを黙らせる暑さ

昨日は午前中にメンタルフレンドで入っているところの聞き取りをしにいく。
午後も同じ用件で行き。
そして、夕方からはスタッフミーティングがある。


ミーティングでみつ屋としてのひきこもりの定義みたいなのを聞かれた。
簡単にいうと、家からでれず、出てもコンビニとか会話を必要としないところだけ。
といったら、働いている人で会話もなく、もくもくとコンピューターと向かっているだけの人はどうか?というのをいわれた。
たしかにひきこもりかもしれない。
たぶん、「仕事をしている」という社会的な承認があるからそうなっていないのかもしれない。
僕としては、主婦はどうなのよ?ってことになる。
家のことだけで、近所のスーパーで買い物する程度。近所づきあいはなく、趣味は読書、ないし映画鑑賞。
うん、ひきこもりだ。そして、これもまた社会的に認められているポジションなので問題とならない。
いや、個人的には、周りが認めているかどうかではなくて、自分が認めているかどうかが重要だと思うの。
たとえば、ひきこもりの人に高齢者宅へ行って、生活での困り(電球を代えてほしい、買い物へ行ってきてほしい)といったことをやってもらうとする。
後から、多少なりお金が発生するとして。
それをたんなるボランティアみたいなもので、ひきこもっている状態となんら変わらないと自分を認めないのか。
もしくは、僕はこれでいいのだ、大切な仕事をしているのだと思うのかによってその人の苦しみは変わるだろう。
そして、みつ屋の支援対象の重要な要件として「なんらかの困りがあること」ということにひっかかるか、かからないかというところへつながってくる。
前者は支援対象であるし、後者は対象外となる。仕事面だけに関して言えば。
もっと話をつきつめると、ひきこもっていて何もしていないとする。
本人が「これでいいのだ」と思っていれば支援対象にならないということ。
ただ、見逃してはならないのは、本人がさまざまなやりたいことをあきらめていて。
そして、最終的に「これでいいのだ」を選ばざるを得なくてそうしているのならよかったら話を聴かせておくれってことになる。


人の価値観というものが、たぶん、ひきこもりを許すか許さないかというところに関係してくるんだと思う。
たとえば、かなりのお金持ちで、マンションも持っていて、お金は何もしなくても入ってきてまったく生活に困らない人がいるとする。
その人は、毎日好き放題に生活していて、もちろん仕事はしていないし、何も困ることがない。  うらやましいぞ!
さて、そんな人をどうとらえるか。それが、その人の価値観、ひきこもりに対する見方のひとつというものだと思います。
親御さんとしてはさまざまな思いがあるのだと思います。
その思いはひとつとして、親御さん自身の気持ちに余裕がないとそうなりやすいのだと僕は思うのです。
それをなんとかしていきたいと僕はいろいろ考えたりもするのです。


そうそう、親御さんがこれではだめだって思うことは、本人も思っていたりするのです。
体裁が悪いってことに関しても、本人は自分の状況ということに関して自分を許していないと思うんです。
金銭が心配と思っているのなら、本人も思っていると思います。
親子ですからね。似ていればなおさら今の状況に対する問題の認識は似ていると思います。
わかってはいるけれど、どうしていいのかわからない。
バンジージャンプで、飛び降りればいいというのはわかっているけれど、飛び降りれないでいる。
解決は実に簡単だ。あと数センチ前に出て、重力に身をまかせればいいだけ。なんでそんなこともできないだろうか。


これまでが、ミーティングに関する話。
ミーティングが終わったら少しスタッフと話をして終了。
昨日はとても暑かった。全国的に暑いらしいが、自分の生活圏が一番暑いと確信している。
それもまた人なんでしょうね。