もうしょ

梅雨もあけて、大変暑かった昨日。
朝は保健所の涼しげなところで発達障害の家族のつどいがある。
お話のなかで週末の休みに楽しみにしていたことをやっているということがいくつかあがりました。
これはとても重要なことだと思います。
それは働いていなくても、楽しいと思える活動があるというのは重要で。
それがない場合ストレス状態が続いたり、調子が思わしくない日が比較的多いと思います。
気付けば日常から笑顔がなくなっていくのかなぁと思ったりします。
また、働いている人でも休みの日にやることがない人、趣味や楽しみがない人というのはストレスのたまりやすい生活だと思います。
仕事が楽しい、やりがいがあるならまた違うのでしょうけれど。


広汎性発達障害の問診で「コミュニケーションに困っていたかどうか、友達の付き合いはどうか」ということをきかれたりします。
たとえば、お友達にめぐまれていて少し変わった奴だって思われていたけれど、寛容でうまくいっている場合があるんですよね。
人との間における障害と考えれば障害がないととらえられます。しかし、医学的な面からみれば相手の気持ちを察しにくという事実はあるのです。
お医者さんはどちらを知りたいか考えたうえでの質問というのは必要かもしれないと思ったりもする。医学的な診断ということを考えれば工夫が必要かもしれない。
そういえば、中学のころのお友達関係は?とあったが、確かに中学のころは少し変わっているとうまく関係が築きにくかったりします。
しかし、不登校になって友達との関係がわからなかったり、親に人間関係で困っていると話すことがなかったりするのかなぁと思ったりもするのです。
ちなみに、ADHDで友達とうまくいかないことはありますからね。
コミュニケーションでも思いついたことをぺらぺらと話てしまうとか。思いついたら話してしまうや、人の話をきいていなかったり。
それも友達とうまくいかないもんですよね。


集いでもありましたし、相談でもありますが本人の少し変わったところというのは意外に家族はわからないことがあります。
「そういうもんだ」と慣れてしまったり、父親もしくは母親に似ているからこの子も似てるんだなぁと思っていたり。
もしくは自分もそうだったからということも場合によってはあります。
なので、聞き取りや周りの人との違いを聞くというのは、そういう面でも診断における質問の工夫が必要だったりします。


つどいのなかで、重要な話がありました。
「これをやってあげよう」=「本人の望むこと」ではないということ。
相手が何を望むかは相手に聞いてみないとわからないということ。
自分が良かれと思うことが、本人にとって迷惑なことだというのは重要で。
そしてまた、嫌がることをしないということも大切だと挙げられていました。
もう、支援者になりますか?(笑)
これは僕は人と関わるうえで、基本的かつ重要な要素だと思っています。
何かしたいと思ったらまずは相手に質問をするということです。
「何をしてほしいか?」もしくは「これやってみない?」という提案。
本人が嫌なら嫌でいいのです。その話しは終了。
この先にいろいろパターンはありますが、それは応用編なのでとりあえずは書かない方向で話をすすめます。
そして、僕が初めて相談に来る方にお伝えするのは「本人の嫌がる話題、行為はしない」ということ。
具体的に話を聞いている中で、そのことについてはしない言わないなどを伝えます。
もちろん、そのときの我慢を発散する方法もお伝えします。
それにしても、家族、本人のさまざまな困りのなかで、そうしたことを気付いたりそれをやるというのはすごいことだと思います。
そんな余裕はなかなかないですからね。


他の親御さんのお話でも、覚悟を決めてこれでよしとしようと思われたり、子どもに合わせてみようと思ったり、そうした方向転換というのはなかなかできるものではありません。
僕が伝えたとしても、それを受け止めたり実行したりまで行くのにはかなりの時間がかかりますからね。
わかっていてもできることではなくて、心がそうならないとできないことなんでしょうね。
それくらいに大きな道の選択と歩みというところなんでしょう。
また、世間に言えないような思いを本人に抱くくらい追いつめられて耐えているのはかなりの状況で。
それを仕方ないで見ているだけの自分が嫌なのでなんとかしていきたいですね。
もちろん中途半端な形でもなくて。
他では言えないような思いを話してもいい場なので話していただけるといいかなと思います。


発達障害の診断について僕は協力してくれる方にお伝えすることがあります。
その意味は、その人のできない、苦手が怠けからくるものではないということを理解していただきたいからお伝えしています。
そして、そのできない、苦手を踏まえたうえで何ができるだろうか、どうしていけばいいかはなしあいます。
ここで、こうなるとやだなぁって思うのは、1つは虐待といった環境によって生じているのでは?ということ。
知能検査の結果や親御さんからの聞き取りからでた診断に関しては、その可能性を否定しています。
というより、あまりその考えを持ってほしくないんです。そうすると、その人のできない、苦手が怠け、甘えからきていると考えることになりうるから。
もちろん、怠けるというのは、人間だれしもあるでしょう。でも、それを前提にしてしまうと、どうしても本人の困りが解決されない。
それを理解しないで状況が悪くなると、家族、友達、同僚などにもストレスがかかってきて問題が解決しにくくなるわけです。
とくに、本人が同じことを繰り返すとストレスがかかり、よけいに怠けているとか、やる気がないと思ったりしやすくなるので。
本人が発達障害かそうでないかということはそれほど重要ではないです。
発達障害だから問題なのではなくて、困っているから問題なのです。
その困りはどうするとうまくいくだろうか。という本当はとってもシンプルなものなのです。
ただ、その流れのなかで、事実を踏まえずに気持ちだけで本人を見てしまいがちになるのです。
特に、「なぜ???」が大きければ大きいほど。わからないことはストレスですからね。


日誌をサボる分、書いているときに書いていないことが思いついてしまうので量が増えます。
まだ続く。内容は少し変わります。
火曜日にボランティアさんと話をしていたときに、ボランティアさんの過去の仕事のお話になりました。
それはとてもつらい環境で、身体的にストレスを感じてしまうものだったらしいです。
どんな仕事なのかというと、ひとり作業で、お昼ご飯の時間は自分の仕事が片付いたときで、周りとの会話もほとんどない状態。
挨拶してもぼそぼそっと返ってくるかこないかくらい。
わからないことを聞いてもそれだけしかこたえてくれず、気が全然利いていな状況。
仕事がないこともあるらしく。
正直、個人的にはとてもやりやすそうな仕事場だなって思いました(笑)
合わないにしても、発狂はしないでしょって思うけれど、その人にとってはそれくらいらしい。
たぶん、ひきこもっている人のうちの多くはこの仕事場がうらやましくて紹介してくれといわれそうですが。
環境って大きいですねぇ。ある人には合わなくても、ある人には合うわけで。
それはたぶん、世界中にあるんだと思う。
自分に合う場所が世間に多いか少ないかの違いかもしれない、生きづらさというのは。
その世間というのも、世界全体としてもいいだろうし、その人の生活圏内とみてもいいだろう。
いずれにせよ「世界」ですわな。


話しは昨日の午後の話にもどります。
午後からはフリースペース。
とにかく暑い。冷房買うのにお金を一部出すのでって利用者さんがからでるくらい暑いんでしょう。
扇風機しかないからな。冷房かったら電気代かかるし。その分人がくればいいけれど。
少し動くと汗かでかかるからきついです。
こんな日にフリースペースの前の坂はかなりの難所。
そんななか利用者は9名。
夏になると利用者さんが減るんですけれどね。まだ始まったばかりだからかな(笑)
14時前にすでに3名の利用がありました。すげ。
久しぶりに見えたかたもいて、その場が盛り上がる。
ゲームやったり、話をしたり、寝転んだり、アイス食べたり。
そして野球しにいったり。しかも全力でやりました。
たぶん、野球人生で最高の心身の仕上がりでした(笑)
代えのTシャツを持ってきて正解でした。
水たまりに落とした感じになっていたので。
そんな感じのフリースペースでした。