イベントの報告 ちょっとスタミナ切れ

今日は一宮で不登校、ひきこもり、ニートのイベントをやりました。
自分の不登校の経験を、自分の親くらいの人や先生であったり、さまざまな人の前でそれを話すというのはなかなかできることではないと思う。
僕も自分の親かそれ以上の人生の先輩を前に話をするわけですが、当然気持ちが縮こまってしまうことがあります。
そして、何十人もの前で何かを話すというのは緊張するもので。
また、これが楽しい話だったらいいのでしょうね。沖縄に行きました。そこでこんな体験をしたんです、みたいな。
自分の人生のなかで、つらかったことを話すわけですからね。
今だって話をしたらやだなぁって思うこともあるかもしれない。気持ちのざわめきといいますか、うずきといいますか。
ほんとにすごいと思いました。個人的にはこれから先何度かこういう場で話すことがあって、話していくうちに何か気持ちの変化があったか
聞いてみたいです。
そのときには、それを聞けるくらい仲が良くなっていないといけないわけですな。
そう今日のキーワード「信頼できる第三者」というところですわな。
そして、不登校の母親としてお話をしてくださったお母さん。
母親として思ったことを話してくださったのですが、お母さんの言葉というのは来ているお母さんの胸に届いたんじゃないでしょうかね。
涙を流されていたかたがいらっしゃいました。あれが花粉症からくるものでしたらごめんなさい。
僕はその時の想いというのが届いたからだと信じています。はい。
今思うと恥ずかしいことをみんなの前で話すということには勇気がいると思うんです。
その勇気の先に、来ている方の共感を得れたように思えますし、その言葉で救われた方もいるかもしれません。
僕は文章を書くのが得意ではないです。
文章というより、何かを文章で伝えるということです。わかりやすく。
気を付けてはいますが、自分のテンポでぽんぽんと書いてしまうのでね伝わりにくいことでしょう。
最近それに気づくようになってきました。成長したな。
だから、もし次にこういった機会があったら足を運んでみてください。


次にパネルディスカッション。
結構僕がふわっとした感じで話すので、次に話すエンドゴールの落合さんの話がさえるさえる(笑)
就労支援をされている方で、さすがですねぇ。わかりやすく話をしてくれますし、他の人の話を受けて自分の話に織り込んでいくその
人生の余裕とでもいうのでしょうか、尊敬です。リスペクトです。
遠藤さんの個人の経験からの話しの説得力といいますか、言葉の深みはさすがですね。
それと今までの人生の歩みというのは、ぜひ多くの人の前で語っていただきたいと思いました。
そして、母親からのお話ということで話されてそのまま連投でのパネルディスカッション。
お疲れ様でした。講演でお話しされたこと以外でもまた内容の濃い話をいただきました。


だんだんスタミナが切れてきました。
頑張ってグループシェアの話。
僕のグループには、学校関係の方やNPOであったり、民間の教育関係のお仕事をされている方までみえてとってもよかったですね。
さまざまな立場、思いから話が展開されていました。こういうことも考えられる、しかしこうでもあるのはないか?
そんな意見が何度もでていて、聞いていて刺激を受けました。
普段聞けないような話であったり、困っていることを受けてかなり勉強になりました。


そして、今日の僕自身の振り返り。
スタッフもしつつ、主にはパネルディスカッションのパネリストをやりました。
いやぁ〜いかんですね。原稿をそのまま読むのは僕の性格にあってないです。
もっと工夫のある原稿を用意すればよかった・・・と反省し、来週の南保健所ではしっかりとばっちしやりたいです。
とはいえ、伝えたいことがまったく言えなかったわけじゃないからいいのかなぁと。
そして、何より、グループシェアね。
個人的には結構あれは話しやすい。思ったらその場ですぐに発言ができるから。
人数も10名以下くらいだとやりやすいかもしれない。少なすぎても違うと思うけれど。



最近、個人的に思うことがある。
「いじめ」ということについて。
いじめについて議論をするのではありません。
「いじめにあった」という話を受けたときに、その人のコミュニケーションの独特さや価値観ということに注意をする必要があるのではないか。
ということ。
注意すべきは「いじめられるがわに原因がある」ということではありません。
そこに「コミュニケーションの独特さ」「価値観」というところに気になることが認められたら、
それを本人が今現在どうとらえているかということ。
もし、そのままである場合、現在、もしくは未来にも人との関係でうまくいかないことがあるかもしれないという予測を立てる必要があるだろう。
その予防であったり、そこから生まれるしんどさの軽減方法であったりさまざまなことを考えていたり、準備をする必要性があるのではないか。
それがその人へのアプローチであったり、その人の環境へのアプローチであったりさまざまではあるが。
「いじめの経験」→「つらい過去」としてだけで終わるのではなく、現在、未来を意識した聴き方が必要ではないかと支援の在り方として考えてみた。