ひきこもりのイベント終了


字が多いので、読むのが苦手な人ごめんなさい。
いつものことですが。


今日は午前中からボランティアセンターへ。
人数がどれくらいくるだろうと考え、おおよそ50名以上。
多く見積もって60名。そう考えていましたが、結局60名以上の参加でした。
資料が追いつかなくて、少しまっていただきました。
すごいね、2クラス分くらいの数よ。野球だったら、7チームはできた。
僕はオタオタしならが受付をやっていました。
まずは気功をやったわけですげ、60名くらいがやっているというのは
なかなかの迫力でしたな。
そして、竹中先生の講演会。
いやぁ〜、実際に活動のなかの話が理論化されていてわかりやすいなぁって思った。
知らないうちにそこにいたっているわけですが、そこが終着点でありたくないです。
もっと何かないだろうかと常に考えていたいのです。
たとえ、その導き出した道のりが360度したとしても、それはもう新しい道で。
親子間の適正距離(ほどよい距離)ってこれが難しいんですよね。
この図もわかりやすかった。
よく親御さんと話していて、そういう本人が嫌がりそうな話はしないように気をつけて・・・
こういう話もできるだけしないように・・・
といったら、「じゃあ何をはなせば?」と聞かれることがありますな。
普段見ているドラマとか、気になったニュースとか、どこか行ったこととか
日常の話ですな。と、僕が言っても少し困ってしまう場合が多い。
なぜかっていうと、本人のひきこもりの状態に関して今まで考えていたり
悩んでいたりしたわけで、そんな日常会話なんてそんなに頻繁にしていない
という場合があることがひとつの原因だったりする。もしくは、会話がない。
あっても用件のみとか。


そういう状況のときにどうすればいいのですか?という質問が交流会ででました。
中流だと・・・それは、せっかく足を運んで出た人がかわいそうなので内緒(笑)
なるほどぉ〜って思いますね。なかなかの竹中先生はアイディアマンだな。
話の中にユーモアもあるし。


もっとその関わり方について、いろいろ話し合いたかったなぁ〜個人的に。
手紙とはがきの交互というのは、わからんでもないけれど、僕は読んでもらわなくてもいいかなぁと。
それでも待とうかと思ったりします。
待ちながらも、封筒をかえたり、そこに絵を描いたりなんか工夫をするんです。
んで、いつか本人はおそるおそるあけるんですけれど、結局たいしたことが書いていないという(笑)
俺は1年間何をやっていたんだーってのも面白いよね。
でも、その一歩は大きな一歩だったりする。ひとによっては月に踏み出した一歩以上に偉大な一歩だと思うよ。


交流会の話にいきそうなので、講演会の話に戻そう。
「今より少し自由になる」というのはいいね。これはすげぇと今も思う。
先生の考えとずれはどれくらいだかわからないけれど、僕は基本的に
「停滞」というのを考えている。人間が「停滞」するって驚くべきことだと思うんだよね。
だって、「動物」ですよ。好奇心と欲とエネルギーを持った「動物」ですよ。
「停滞」というのは動いていない状態。
同じ姿勢をずっとやっていれば動くでしょ?寝ているときも寝返りをうつように。
基本、人間は動くものだと僕は思っている。
それが「停滞」している。
何か動こうとしているけれど、それに反発する力が働いているんじゃないかってのが僕の説。
重力に対してそれに反発する力が働いて、バックが床においてある状態(停滞)みたいな。
そこから少しでも自由になるって考えると、僕の活動の考え方にグッと近づいてくるわけです。
しかし、そこを個人的にいろいろ話をしたわけじゃないので、どういう感じで「自由になる」ってのかがね。
大暴投はしていないと思う。もしかするとボールかもしれないし、ど真ん中かもしれない。
人は本来、動き出すエネルギーも解決するエネルギーも持っている。
けれど、それがうまく発動しない状態ってのが「停滞」みたいな。


訪問を中心に竹中先生はお話をされて、もっといってくれーって思った。
僕が百万回主張するより、竹中先生の一言のほうがたぶん人は動く(笑)
これは、某NPO法人のY田さんと話していた内容ですが


僕のやっているメンタルフレンドって、何かのきっかけになればいいかなぁって
思っているんですよ。そりゃ、最高に気の合う人間のマッチングがいいんでしょうけれど
そんなこといったら何人ボランティアスタッフを確保しなければならないかって
ことになると思うんですよ。
そこで、最低限「コイツは危険じゃない、一緒にいても悪くはない」って
感じであればいいのかなぁと僕は思うんです。たとえ本人が満たさなくても、そこから
もっとほかの人間にあってみたいって思えたらそれで十分でしょ。
                            みつ屋 木田

(ちなみに、こんなに丁寧に伝えられた自信はない)


そういう人間(メンタルフレンド)と関わっていろんな時間を過ごして、そこからどういう関係に
なるかわからないんですけどね。
どうなるだろうね。
それにしてもいいこというよなぁーって自分で思うんですよ。
でも、これって僕が生み出したようで、山Dさんと話したから生まれた話であって
違う人と同じような話をしたとしても、この発言がでたかなんて確証はないわけです。
もし、すっごい感じの悪い人だったら、こういうセリフは生まれなかったと思うんですよ。
逆に、違う人だったらもっといいものが生まれたかもしれない。
でも、そんなことはわからなくて、とにかく今の僕の発言がでたというのは、
YDさんとの会話(関係)によってというものなんです。
いやいや、いい雰囲気で話せたのは木田君の振る舞いが・・・いやいや、僕の振る舞いがそうなったのはY田さんの・・・
とまぁ、コミュニケーションなんてそんな感じです。
とにかく、二人の関係からそういう発言が生まれた。
お互いが影響しあってひとつの作品をつくっていくように。
そんな捉え方を僕はしたりします、メンタルフレンドでは。
そこにあるのがもう事実でしかない。因果関係より、そこで巻き起こったことを
感じたり気づけたらいいよね。


もうさ、講演会は話がてんこ盛りで、さすが名古屋!!太っ腹!!
って思わす講演の内容でした。


その次には交流会。
40名以上はのこられたかな。
支援者+一般の参加グループ
当事者(本人+家族等)のグループ


僕は当事者グループの担当。
緊張して耳が真っ赤だぜ。
最初に簡単に自己紹介。とはいっても20名以上いたら
ひとり1分でも20分以上。設けられた時間は20分ということで簡単な自己紹介。
20分後にお隣のグループにはどんな人がいるか代表でえんの副代表が伝えつつ
僕が伝えつつで終了。
30分後に竹中先生がこちらのグループにいらっしゃるということで、
先に質問をあつめよってなことで、3つくらいと思っていたら
最終的に9個になった。野球できるな。
・趣味のお金を出せといわれて出さないと暴れるけれどどう関わればいいのか?
・10年くらいひきこもっている場合、家族はどう本人と関わればいいのか?
・背景に診断のついた病気がある場合、どう関わったらいいのか
・家族とは話せるけれど、外の人間とは話せないけれどどうすればいいのか?
・本人から人とつながらなくてもいいんですって印象をうけて、家族はどうコミュニケーションをはかればいいのか?
・適正距離で話をしているときに、たまに近い距離で刺激をあたえることはアリか?

ほかにもあったけれど、わすれてしまった。
最後の「適正距離」のはなしで、竹中先生は「まずいと思ったらすぐに退く」ということをすれば
OKだといっていたけれど、その後に僕は聞きたいことがあった。
時間が来て終わってしまったが。
「退くことができるけれど、2日おきとか隔週でいわれたら本人が話をしたくなくなるんじゃないかって思う場合が
あるのではないだろうか?また、それを前提として伝えてしまうと、それに甘んじて(免罪符となって)何度も触れてほしくない
話題に触れるのではないか?我慢せずに本人の状態ではなく自分の我慢できないときにいってしまうのでは?
そこから、気づいたら我慢することがほとんど薄らいでいくのではないだろうか?」と。
僕は、それを発言してはいけないとは言わないし、竹中先生がおっしゃったように親の努力にまかせてしまうというのは
あまりにも酷だと僕は思う。また、意外に本人もこっちが思っているより、その言われることに免疫が
多少はあるのではないか(母親とのいままずっと付き合ってきているとおもうから)と思うのですよ。
基本的には、本人の様子(親子関係)をみながらですが。
微妙に違うんですけれど、ちょっと話をしたかった。うん。
ちなみに、親御さんの口にだせないものに関してもどうにかしようと手はうちます。
その人の合うものを考えていくのですが。


先生はきっぱりいいましたが・・・
「ひきこもりは家族だけではどうしようもできない」
といった感じのことを。だから支援を受けるように告げた。


もっといってくれ。


(とはいえ親御さんは育て方が悪いからと思っていたら、なかなか支援は受けにくいかもしれないが。)


せめて3年時間をかけて変化がなかったら家族だけで何とかしようとするのはやめるとか。
逆に、3年間まったく変化をさせてはいけないという指示のほうが結構面白いと思う。
何が面白いかって、そうすると「変化」というものの定義が異なるんじゃないかなって思ったりする。
そうすると注意もかわったり、関わりも変わったりするんじゃないかって思ったりする。
みつ屋奥義「逆に」の原理。
僕と親御さんの「変化」というものに関する捉え方が違うのをよく感じるので。


それとひきこもりは日本全体で考えていかなきゃならない問題ともおっしゃっていたわな。


交流会の途中で話が終わってしまったのですが、
「支援先をきめる決め手ってなんですか?」
と、参加されていたが、ほかの参加者の方に聞いていました。
ぜひとも聞かせてほしいと僕は言いましたが、結局話が聞けず!!
残念・・・残念すぎる・・・。



今日はかなりいろいろ気づきましたな。


最後にたぶん、人前で発言するときって怖かったり緊張したりしたと思うんです。
その緊張や恐怖を本人は感じているんですよ。
演台の前にたって、みんなの前で何かを話す緊張とか恐怖とかそういうのもさ。


といったのは、Y田さんなんですけどね(笑)


たしかに!!と思った。すげぇ。
そして、それを気づいていないんでしょうねぇと僕。


あの方は面白いだけの人じゃないんですよ。
相談会のときによく思いますが。
え?知ってるって?(笑)