水フリ

今日は午前中に発達障害のある方の家族の集いということで、千種保健所へ行く。
参加者はおそらく今回が一番多いのではないかと思われる11名。
野球ができるね、やったね。
話しのなかで、個人的に思ったのは気持ちを伝えると思いも知らぬ行動や
その言葉の捉え方をするということ。
たとえば、「それをされると不愉快なんだけれど」と伝えると、
「だったら私なんていなければいいんでしょ!」みたいな怒り方をするとか。
多くの人も「不愉快だ」といえば、嫌な気持ちにはなるけれど、話しが飛躍して
お互いの話しの枠をはみ出して(本人はそう思っていないと思う)、結論を
だす傾向があるように伺える。
話しはその人の行為によって、「不愉快だ」と伝えるだけのはなし。
じゃあ不愉快ならその行為をどうしていくかというのが
会話の枠の話だと思う。やめるのか、やめないのか、どうしていきたいか。
また、もしくは気持ち(不愉快だということが伝わらない。
たとえば、「やめてくれる?それをやられるとイラッとする」といっても
いまいちその気持ちがピンとこないのか同じようなことをする。
もしくは、それをやることに気持ちが向いていて、相手の気持ちは考慮
されていない(結果として気持ちがわからないと捉えられる行動をとる)。
なので、意外にも「気持ち」を伝えるのは難しい。
しかし、うれしいとか楽しいといったポジティブな気持ちは伝えてもOKだと
思う。ただ、それを聞いたら毎回同じことをするかもしれない。
たとえば、贈り物でそれに対して「うわぁ〜うれしいな。ありがとう」と
言った場合、それ以降同じ贈り物をしてくる可能性は否めない。


Aさんに赤いバラが送られてきた。早速Bさんにそれを伝える。
「素敵なバラをありがとう。うれしいわ。」そういって以来、
毎年毎年赤いバラがAさんのもとに届いた。さすがに赤いバラにはあきたので
AさんはBさんに
「赤いバラじゃないのがほしいわ」といったら次回贈られてきたものは
白いバラだった。さすがにこれはいかんと思ったAさんは
「バラはいいわ(もう結構です)」といった。Bさんは「バラで良いの?」といった。
Aさんは「えぇ、バラはいいわ」といった。
そしたらまたAさんに白いバラが届いた。AさんはBさんの言葉の取り違えに
気づいて「もし次何かくださるなら、お花のバラじゃないものでお願いしたいんだけれど。
お花を枯らしちゃうのはもったいないわ」とBさんに伝える。
そして、その次に送られてきたのは、豚肉のバラだった・・・。


キャァーーーーーーーーッ!!!


ホラーではありません。ちょっとした僕の妄想です。
今までの話とは全く関係ないです。なんかひとりで楽しんじゃいました。
ちなみに、いい例が思いつかないのだけれどたとえば、
朝早くて早く寝たいのだけれど、夜中におこしにくる子どもにたいして
それを不愉快だと思っているとする。
「明日の朝は早いのに起こされるのは不愉快だからおこさないでくれ」と気持ちを伝えるよりも
「朝から仕事があるので24時以降は起こさないように」
というルールのようなもののほうが、変に飛躍した結論をだしたり
行動に陥ることはないだろう。
ちなみに、「朝から仕事があるので24時以降は起こさないように」とすると
火事になったときでも、起こしてくれない場合があるというのはちょっとした
パロディだ。結構悩んで起こしてくれるかもしれない。にしても、無きにしも非ずって感じ。


それとこれは不登校やひきこもり関係の親御さんの話しを聞いていて思ったこと。
それは、結構親御さんの求めている水準が高いということ。その高さは
スカイツリー級だ(僕の印象イメージから)。
その高さは、子どもを思うとそうなるのはわからんでもないけれど、
この仕事をしていると、その一歩やちょっとした変化というのは
かなり喜べること、すごいことだったりする。
しかし、それくらいでは喜べない、当たり前みたいな雰囲気が言葉のすみから聞こえてくる。
たとえば、何年も食べた後の片づけをしなかったのが、お茶碗をさげるように
なったとする。何年もしてこなかったことをするようになるというのは
大きな変化だろう。しかし、それを仕事につかせるとか、一般的に考えてという
ものを描いている場合、「たったそれだけのこと」になりうる。
これはエネルギーがではじめたということの表れだと思う。
赤ちゃんが生まれたみたいな、新しい命の誕生の瞬間だ。
「停滞」から「変化」というのを表した「瞬間」だと思う。
小さいことの積み重ねというのは大切で、そういうものは意外にくずれにくかったりする。
たとえくずれても、またすぐにもとの形に再生する。
しかし、明らかに変化するような大きなものというのは、かなりもろい場合が多い。
大きな変化→小さい刺激→崩壊→大きな変化→小さな刺激→崩壊


の繰り返しで結局何もかわらないでいたいりする。
大きな変化でしっかりするものというのは、そうとうな劇薬を飲ませるか
何かしないとそうはならない。


未来を描いたり、見ることも大切だと思う。
しかし、それによって「いま、この場」でおきている変化を見落としては
未来は実現が難しいだろう。


そして、そのフォローをするのが支援をする人たちだったりする。
気持ちのあせり、不安や、見落としなどそういったものを支えるのが
僕らだと思うので、大いに使っていただきたい。
また、同じ立場の人間に触れるというのも重要だと思う。
似たような経験をしている人に触れるというのは、思った以上に
パワーをもらえたりする。心強くもあり。
なので、親の会などに参加するのもいいと思う。
合った支援に出会えるといいですな。


午後からはフリースペース。
利用は12名。ボランティア1名。
実は14時30分くらいまで女性だけが4・5名という状況だった。
そんななか僕はヘナでタトゥを描いてもらう。
さてどうなっていくか楽しみ。
ちなみに、足の毛もそった。しかし、描く時間がなかった。
意外なまでの肌の白さに驚きと違和感があった。
腕はあんなに黒いのに。
その後人は集まっていき、久し振りの人、まだ来て数回の人と
いろんな人が集まった。


帰ってきてから少し眠ってしまった。
たぶん、眠いのだろう。
いろいろやることがあるんだけどな。