偶然な7月

今日は午前中に人と会って話しをする。
上手くいけばいいけれど。緊急の連携の話しなんですけれどね。
どうでしょうか。
そのあとに、ボランティアセンターの職員の人とのききとり。
団体についていろいろはなしたけれど、何が足りないというよりも
何が果たして足りているのだろうかという感じ。
事務所もないし、経済力も、人材も足りない。知名度も低ければ、連携も薄い。
まだまだな団体ですな。
午後からは子供の家で共育ちの会の運営会議。



今日一日で、団体についてのことと、カウンセリングについてのことが
イムリーな感じで話題になる。
なんだろうね、ほんと。
団体については、これからどうしていくか、今のみつ屋の状況など。
いろいろ考えたことが昼から夜にかけて違う場所で考えることとなり。
カウンセリングについては、ちょうどクライエントが気づくだけでは足りなくて
それを受容できるということが重要なのではないかと考えていたら
そんな感じのはなし。
まずは気づくということだけれど、それだけで十分辛いことで。
それを受容するとなると大変な作業で。
なんてなこと。
結構カウンセリングという言葉は、有名になったけれどそういうしんどい作業を
クライエントがやるということが見落とされるのではないかと思っていたときに
話しにあがたので。
最近、いろんな資格が増えてカウンセラーを名乗りますが・・・どうなのでしょうかねぇ。
ちなみに、言語を通してのやりとりというのが主にカウンセリングですが、
そうでない部分からのアプローチがゲシュタルトだったりする。
言語は使うのですが。
そういえば、思考というのは「過去と未来」を考えるもので「いま」ではない
というのは結構はっとするような言葉だった。
「いま」に触れられるのは「感覚」で。
どんな感覚か解釈(思考)してしまったら、それはもう「過去」でしかない。
今感じているそれを言語化してみたりして。


気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法 百武正嗣 春秋社


というのは、結構簡単に読めそう。
難しく書いていないのでするっと読めそう。
そして、まだ読み終わってはいない。
アートが好きな人にはちと伝わりやすいかもしれない。


気づけばもう7月ですからねぇ。
七夕ですな。一宮の七夕は行ってみたいと思ったりするのですが・・・。
なんかむこうってこわそう・・・ガラ悪そうな人が多そう・・・。
という勝手な思い込み。