ちんもくま

今日はフリースペース。
参加者は3名+相談2名。
火曜日のわりに多かった。
なかなか不登校を対象としたフリースペースのようなものはないなぁって感じる。
出入りが楽で、自由に過ごせるところ。
やろうかなぁってなんどか思ったんですよね。
発達障害の方を対象としたのを月曜日やっていますが、それを不登校のと
どちらをやろうか迷った時期もあったんですよ、実は。
不登校のほうは、周知するのに労力がいるだろうし、スタートで誰も参加者に
なりそうな人がいなかったのでやめました。
フリースペースは本当にゆったりといった感じ。
水曜日とは違う静かな雰囲気。扇風機の音、草のにおい。
沈黙・・・。


僕の場合、沈黙は誰に対してもいやなわけじゃない。
むしろあってほしいくらいなのだ。
しかし、しゃべらないといかんなぁ〜って背中を押されるかのように
言葉が少しずつこみ上げてくる。
ふつっとわいてくるものではなくて・・・。
なんか沈黙させるのが失礼という感覚が少しある。
一緒にいるのに会話をしないなんて、会話を楽しまないなんてかな。
なんなん、君は?って思われるような感覚。
そんなのめんどくさいよ。今は静かにそこにいたいんだってのを
否定されたような、そんな記憶があるようなないような。
なんだろう、僕は沈黙でありたい。しかし、それが悪とされるような。
フィーリングの違いか。気が合う合わないの問題か。
それが合う人とに対してだけ、沈黙を楽しめればいいのか。
そうか、なるほど。
沈黙、もしくは「間」。「間が悪い」の「間」。
うんうん、と勝手に納得してしまった。


つくりだされた沈黙というものと自然と生まれる沈黙。
うむ、面白い。
ちょっと静かにして、そこにむかいあってみましょう。
これはつくりだされた沈黙。
なんだか、その沈黙と今日フリースペースで流れたそれは違う。
うん、違う。質が違う。そりゃそーか。
まぁ、いいや。これを書いているとどこまでもフラフラとしてしまいそうだから。


贅沢を言えば、もっとどっぷりつかってもよかったな、あの空間と時間に。
「役」を捨てて。なんてことを思ったりした。
ちなみに、僕はみつ屋をはじめたときに、「沈黙の会」というのを
やろうと思った。
人はあまりにもしゃべりすぎだし、言語に頼っているところがある。
そうじゃない部分をもっと堪能したいじゃないかってなことでそんな会を
考えたりしたわけです。
なんだかものすごく混沌として、とっても非日常な空間。



いいなぁ〜。