最近文章が長いんです

 今日は午前中にフリースペースにみえた「ぽるて」さんのところへ見学。障害者就労移行支援事業所というところで、「企業の視点からつくる就労支援カリキュラム」とチラシにはどどんと載っているわけです。そこの立ち上げの伊藤さんという方と主にお話をする。
 かなり情熱を持っている方で、バイタリティの塊みたいな人だった。人と正面から向き合っている印象があります。話し方といってしまうと伝わりにくいでしょうが声の強さ、目線、身振り手振り・・・ん〜なんでしょうね、一番親しい人と話している話し方を誰とでもどういう状況でもできるようなそんな印象。支援の内容は個人にあったかかわり、アプローチをするようです。できるところからやっていくといった感じで。まぁ、とにかくすごい人です。


 さて、ちょっと話をしているなかでそこの利用者さんの発言に対して「損をするよ」と言っていました。それは最初、「なるほど」と思ったのですが、改めて考えるとすごいと思う。何がすごいって、「損をする」という言い方は、おそらく気持ちの察しにくい発達障害のある人には有効なんじゃないかなぁとおもうのです。
 たとえば、「そういうことを言えば、相手がいやな思いをする」と伝えるといまいちピンとこないと思うんですよね。しかし、それは伝えることの意味がないとはいいませんし、伝えたほうがいいでしょう。けれども、それだと印象が薄いんじゃないかなぁと思うのです。「そういうことを言えば、相手がいやな思いをする」といいつつも、「そして、あなたが損をする」と付け加えるといいのかなぁと。実際に、発言の内容によっては、人は離れていって嫌な思いをする場合が多いわけです。場合によってはいじめにつながることもあります。たしかに損なわけですわ。プラスにはなりにくい。
 以前、はつかの集い(発達障害のある方の家族の集い)で「こちらの気持ちがこうこうだから、やめてほしいと」と伝えるよりやめてほしい理由をビジネス的な理由で伝えるといいのではないかと言ったことがある。「仕事頼むよ」といわれて「気持ちがのらないので」は会社では通用しないと思うのですが、その理由の部分を「ほかに終わらせないといけない仕事があって、手が回らない」と断るような感じで、相手の要求を断るといいのではないかと話したことがあるわけです。そのほうが伝わるのではないかと。そう考えると「そんなことを言うと損する」というのは結構ナイスな言い回しだと思う。
 この「損をする」という言い方は、気持ちというものに意識が強い人、たとえば、僕みたいな繊細で純朴な人間には抵抗を感じる言い回しだ。そういうタイプの人にはこれは響かないし、過剰に反応すれば嫌悪感さえ抱くかもしれない。使い方しだいだと思う。もっと広い視野が必要だ。むしろ、ビジネス的な用語、思考のほうがやりとりがスムーズにいくのではないだろうか。
 ちなみに、「僕みたいな繊細で純朴な人間には抵抗を感じる」と書くと、「損をする」というのが理解しやすい人間はつまり「繊細でなく純朴ではないといいたいのか!」と言い出しかねない。これは僕のメッセージをうまくキャッチできていないのだろう。「僕みたいな繊細で純朴な人間には抵抗を感じる」というセリフが面白いのであって、その逆の意味がどうのという話を伝えたいのではない。と、なんだか駄洒落を言って、わかってもらえず駄洒落の解説をしなければならないというこの感覚は何だろう(笑)とりあえず、ユーモアなんだとか、意味のない発言なんだとか思っておさめてください。それか僕が宇宙人語を話したんだと思ってください。


 書いていていろいろ考えていると、どうしてそう捉えるのかというのがわかってくる気がする。それがわかれば、たぶんお互いに話がしやすいのだろう。ただし、これには時間と労力がいる。覚えたての英語のように、頭で文章を一度考えて通じるか判断して声に出すといった過程がとわれるかもしれないからだ。同じ日本語を話しているのにめんどくさいって思うかもしれないけれど、その必要性はもしかすると問われるのだろう。ただ、「波長が合う人」「馬が合う人」ならそれは問われにくいのだろうが、ヒヒーン。ちなみに、僕は最近よく考えながら話をするように心がけている。ここの世界に入ってきてから、どうも僕の語る内容というのはわかりにくく、質問されることが多いからだ。もしかすると、今まで出会ってきた人もそう感じてたかもしれないね(笑)今まで適当にあしらわれてきたのかー(泣)とはいえ、まだまだそいつは未熟で、それは文章にも現れているのです。あとで読み返すと、自分でもわかりにくかったりする。それはまだいいのだけれども、自分で気づいていないとね。まだまだな人ですがよろしくお願いします。