「待つ」・・・のか?

今日は午前中にメンタルフレンド。
それが終わった後に、家に帰り書類をやる。
完了したらすぐに保健所へ行く。
書類の一部を渡し、そのままとある小学校へ行って担任の先生方や養護の先生
通称保健室の先生、お母さんと僕とでの子どもについての情報共有と
この後その子どもとどうかかわっていくかについての会議。
こういう会議ははじめてなので緊張しましたな。
というより、こういった会議のできる学校ってすごいと思った。
それが終わったらスタッフミーティングだが、少し遅刻してしまう。
そしたらもう夜で、雨もぱらりとふっていましたよ。
今日は電話の相談などもあり結構活気があった1日だった。


そうそう、不登校やひきこもりにおいて「待つ」ってことはよくいわれますが・・・
果たして必ずしもそれでいいのかという話しがある。
というのが、発達障害がらみのはなし。
たとえば、その特性で困っているのならば「待つ」でいいのだろうか?
その子が不登校だろうと、登校していようとその特性で困っていたら
おそらく支援者は、「こうしたらどうだろうか?」と提案をするだろう。
もし、「待つ」だったら特別支援教育の個別支援計画は「待つ」のひとことで
片付いてしまう。
しかし、なんでもかんでも特性改善というのは、正直どうなのよ?と疑問を持ちます。
本人が問題としていないならそれは「待つ」でいいと思いますが。
そこの状況の見極めというのは、支援者の腕にかかっている気がしますが。
とにかく、なんでもかんでも「待つ」ということだけではちと問題だと思ったりするのです。

といいましたが、発達障害かどうかわからん場合はどうするの?って思うでしょ?
そうね、僕も思いますよ。
わかりません。相談に来て今までの経緯をきいて、なんかあやしいかもって
思ったら、僕のほうでなんとなくそれとなくそんな感じを前提としたような
支援を行うでしょうね。
また、本格的に必要だと思ったら、検査するドクターを紹介します。
もちろん、本人がそれがらみだろうことで困っていて、それを
明らかにしたいとおっしゃることが条件ですが。

そうそう、こういうトレーニングの場がどこかあるのか?と
疑問に思ったりするのです。コミュニケーションが苦手とか
行動面やら学習面で困っていますってのをトレーニングしてくれる場。
ちなみに、成人ね。学校に行っていれば(義務教育くらいまでかしら)は特別支援教育があると思うのでね。
そこの学校があまり力を入れていないようでしたら、一緒に考えますよって
そういう場所。あるのか?ないならちょっとやってみようと考えていたりする。
それによって、うちの支援のあり方の質が濃くなると思うのでね。
ちなみに、そういう苦手を考慮した支援のやり方はとっているのです。
ただ、もっと深めていきたいのです。そういう意味でも、この支援はグッドなのです。
ちなみに、発達障害のある方の苦手についてどうしていこうかという勉強会も
はじめたのもそんな感じだったりする。
まぁ、発達障害があろうがなかろうが、苦手な状況、困っていることに
関して考えていこうというソウゾウ(想像・創造)力のレベルアップは
支援に欠かせなかったりするのです、うちのね。