ながいよ、今日のは

昨日は午前中に人と会って話しをする。
あぁそっかと気づかされることがあった。
ある人の「?」がある人によって「!」にかわるというのは面白いです。
いろんな人に話しを聴くというのはそういう面でもいいですね。
近いものを表現しているといいますか。
誰かが表現できなくても、近い感覚の人がそれを表現してくれるみたいな。


午後からは、以前関わっていた方とお会いする。
近況などをお話しいただいた。
辛い時間のなかで、僕でも経験したか自信のないつながりというものを
みつけられた話しはとても印象的だった。
その他に「きらいにならない距離カン(間・感)」というのを話しをしたり。
自分はそんなにひどく嫌っているけれど、他の人はそれほどでもなく。
なんでそんなに「嫌う」というのがでてくるのか不思議という話しをしたり。
人と関わっていてイライラしたりしていると、相手のほうに攻撃というか
意識がむくのですが、自分のほうに「?」がでるってすごいことだと
思うし、そこから面白い発見ができる気がする。
その先、自分に対して「理解」できても「受け入れる」ことはできないことも
生じるかもしれない。その先の話は、そのとき考えればいいなぁと勝手に
想像をふくらませたりする。
これは、セラピーだな。カウンセリングだな。うん。
なんでこんな自分がいるのか?ということに疑問を持ったり、気づいたりする、
少し離れて自分というものを観察するとなんだか面白い。
手に握っているそれを、いったん手から離して机に置いてじっくりと観察する
ような感じ。
たいてい、ぎゅーっと握ったそれを手放したり、どこかに置くというのは
困難だったりする。
ぎゅーっと握っていることさえも気づかなかったりするものだと僕は思ったりする。


その後にボランティアセンターで、ボランティア募集の方と会って話しをする。
なかなか新しい人と出会うと、この人とこの先どうなっていくかイメージを
したりする。
どうなんだろうと思いつつ、その人のことを観察したり。
僕は結構人の目のあたりを見ていることに気づく。
そういってしまうと、僕とあって話をしていると「こいつ、観察している」と
目を気にしてしまって話し難くなってしまうかもしれないけれど。


その後昨日とは違うメンバーでボランティアスタッフのミーティング。
僕はミーティングのあり方について、少し考え方を改めるというか
ダイナミックでありながら、もっと繊細さを持っていいと思った。
そして、常に疑問をぶつけるような形式でもいいと思った。
メンタルフレンドにも通ずる何かを。感覚というか。そういうもの。
それは、僕のためにもなって。
漠然とではないがやっていて、少しやり方を変えようと思った。
正直、痛感したといったほうがいいかもしれない。


ちなみに、4月になり学校へ通っているボランティアスタッフさんは
就職活動がはじまったようで。それぞれがスタートをきるようだ。
これは個人的な話ね。
実は、僕は警察官を目指したことがあったの。こう見えても。いや
こうだからこそかもしれない。
そんで結局あきらめたんだ。正直、そのときは全力も全力、もう
びっくりするくらい全力で突進して、「あきらめる」というのを
選択するというのは、ある意味人生そのさきになにもありませんよ
みたいな状態になってしまうんですよね。
すべてをかけていたし、大学もそれで法学部に入ったわけですから。
講義もつねにをそれを意識しつつ受けたりしていたので。
そして、あきらめて今の道に進もうと考えだしたころ。
たぶん、札幌の大学に行っているときに警察の様子をおいかけた
テレビとかあるでしょ。
あれをみると、気持ちがゆらぐというか、あきらめきれていない自分が
いることに気づくんだよね。
いいなぁって思ったり。たまに、もしあのままストレートに警察官になれていたら
今頃こんな仕事をしているのだろうなんて思ったりもした。
けれど、今、そういう話を聴いてもまったく何も感じなくなるんだよね。
過去の思い出みたいなもんで。
それくらい、今の仕事に一生懸命になっているのかどうなのかわからないけれど
少なくても、好きなんだと思っている。恋ではなくて、愛でもなく。
でも、好きなのでしょう。
ある意味バロメーターみたいなものかもしれない、過去のそれは。
ちなみに、臨床心理士をやめるのは、正直くやしいというかあきらめきれない
感じもあったのさ。そんな自分がいることもわかっていた。
でも、今はそれもどうでもよくて。
ただ、この活動をやるにあたり、それがあったらもっとみつ屋に相談なり
利用なり、また経済的なものを助けるアイディアもたくさんでるので
死ぬ気でとっておけばよかったかなぁと後悔はしている。
それは、はじめから後悔するだろうなぁと想定していたが。
しかし、だからこそ、人とのつながりを大切にするということをより意識
したのでよかったのかなぁと。
また、自分の能力というかそういうところでも、臨床心理士にすすまないのは
手痛かったりする。もう、利用者さんからご家族から支援者の方まで
とにかくさまざまなところから、勉強というか学んでいる感じです。
ひとりでもスーパーバイザーみたいな人というか、話し合える人がいると
いいのですが。大学のころの先生がたと話ができた日々はなんて、贅沢な
日常だったのだろうか。
自分がひとりの時間でできることで、視点がほしければ本を読めばいいか。
尊敬できる人と出会いたければ、いろんな人と出会えばいい。
欲がでるほど、自分の持ち時間というのが小さくなっていく気がする。
そんな状態だからこそ、過去のそれを気にもせずに生活できるのかもしれない。


今日はながくなりましたな。
ひさしぶりに。