昼から夜まで

今日はこころとまなびどっとこむさんのイベントのお手伝い。
さすがに疲れる。なかなか感じることがあり。
不登校経験者のだからってことはあまり気にしないで人の演奏やらパフォーマンス
やらみて感動するんですが、今回は少し過去にいろいろあったんだろうなぁって
ことを想像をまぜて勝手に感動していましたよ。
人前で「どやっ」って顔でやったりしているすがたになるまでに、いろいろ
苦しんだり悩んだりしたんだろうなぁって思ったりして。


その後、フリースペースをやっている子供の家での運営会議。
話の中で、関係がなくても存在がなくなったらさびしくなるってなるほどだね。
たとえば、自分の長年住んでいるところのある店がつぶれたりするじゃないか。
そうすると、そことは関係ないけれど、なんかさびしいきもするよね。
たぶん「時」を感じるということもあるのかもしれないね。
そこもひとつの風景で、その風景の一部がなくなって。
過去になっていくというか。なんだろうね。
なんてことを想像していた。
関係あってもなくても存在は存在で。
それが人間のように意思をもたないものでもそれを感じてさ。
あったときは全く気になってなかったのにね。
なんだか抜け落ちたあの感じ・・・うん。
それが人間だったら・・・なんて思ったら、僕は自分の活動ってのをまた
思い直したりした。


これは、夜でも話題にでたが昼のイベントのなかでのフリートークというところでも思ったこと
なんですが、人と人のつながりについてね。
僕は人と上手く付き合う方法を学ぶことも大切だと思うけれど
ぶつかっても上手く修復する方法を学んだほうがいいきがするのだ。
どんなにぶつかっても、結局は仲良しかよって低学年ではちょいちょいみられた
けれど、成長するにつれてなんだか難しくなっていく気がするのだ。
本当はさ、けんかはじゃんじゃんしていいんだよね。
大人はとめるけれど。大人がもし手助けするんだとしたら、仲直りの部分なの
かもしれない。まぁ、それも小さいころは結構上手くやったりするので
放っておいても大丈夫なきもするが。
あまがみを知らない猫(小さいころから一匹でそだった猫)にかまれると痛いらしい。
途中で新しい猫を入れると、そのうち痛くなくかんでくれるようになるみたいね。
その猫とじゃれあうようになるらしいので。
まぁ、痛いときもあるらしいが、以前にはない変化というか。
けんかを知らないで育つって結構怖いことかもしれないな。
それと信頼という面でもそうだと思う。
ぶつかっても大丈夫っていえる絆というか。絆って結構重い言葉だと今よりいっそう感じた。うん。


そうそう、ミツロウちゃんね。
募金。さりげなく入れてくれる方がいらっしゃいます。
ありがとうございます。
これを水曜日のみっ誌に書きそびれたので書きます。
ちなみに、以前も何度かあったのですが。
ありがたいです。その思いといただいたものでみつ屋の活力がアップです。
頑張ります。僕、頑張ります。


って、だれやねん。何キャラやねん。


にしても、結構書いたな。
あ、がらにもなく少しまじめに書いてるよ。
はずっ・・・かしくはない。