勉強かい?

今日は、まんじぇの今井さんと、こどものいばしょさん共同の
勉強会に参加する。
アメリカの自由教育に学ぶということで、ビデオをみた。
自分達の好きなことをやることを許されており自由なのだが、
その一方で自分達が選択したという責任を負うものである。
主に自主性というものを大切にしている。
自由なことをやっていると、こどもは自ら道を歩みだす。
その「動き出し」というのを大切にしている気がした。
言い換えると、そういう「動き出し」を信頼しているともいえるのではないだろうか。


子どもに対する関わり方というのは、おそらくみつ屋のスタイルに近いものがある。
ただ、違いといえば、それを教育としてやっているか、人の関わりとしてやっているかの
違いではないだろうか。
みつ屋がやっていることは、教育だと思っていない。
むしろ、「教育」という肩書きは私には重過ぎるように思える。
あくまで人との関わりというところでやりたい。
みつ屋はゆるいがゆえに、私としてはやりやすいがその分だけ
周りへみつ屋のやっていることの理解はなかなか伝わりにくく、
そういう点からも人に「これって意味あるの?」という印象を
与えてしまう・・・気がする。


ちなみに、みつ屋ではその「動き出し」さえ考えていないと言い切ってもいい。
それも関わっていくうちのひとつの現象と思っている。
先も書いたけれど、重要なのは関わりなので。
どうなっていくかわかりません。こんなことを書いてしまうと、自ら財布の寒い
生活を望んでいるのではないかと感じでしまいますが。


教育としてその「動き出し」に対する信頼みたいなのは、必要ではないかと思います。
なかなか、信じることができず「理由」や「理解」を求めてしまいそうですが。
とてもいい勉強になりました。ありがとうございました。
次回もあったら参加したいと思います。


書いていて思いましたが・・・一人称が「私」になってますね。
「僕」というときと「私」というときがあります。
意味はありません。書いているときの気持ちでそうなります。
どんな思いが込められているか・・・なんとなくわかりますが、
あえてそれは触れないでおきます。
「あえて」が好きな人間のあまり意味のない行為に振り回されないように・・・フフフフフッ。