お話しを伺いに

今日は、名古屋市内でフリースクール&私塾をされているまなび場さんの活動場所に行ってきました。
まなび場の主宰である幸さんは、もともと学校の先生で17年間勤められた後に、まなび場を開設された方です。
17年学校に勤務されて、フリースクールをやろうと思ったことや、ホームページで書かれていることに興味を抱き訪問
させていただきました。



まなび場さんのスタイルというのは、個人個人にあった関わりというのが基本姿勢ではないかと聴いていて感じた。
だから、たとえば学校へ行きたいと思う子どもにはその子の支援を、また、行きたくないという子どもにはそういう支援を。
つまり、「学校へ行かせます」もしくは「ここでのんびりやればいいじゃないか」のどちらか一方の考えではない。
本当にその子、その子のオーダーメイドの関りというものを展開している。
その後、話を聴いていて本当に個々にあった関わりを心がけているのが話しの節々で感じられた。
こういう小さなところに、理想で終わらず実践でやっているのだということを感じる。



しかし、だからこそ集団という場で苦労をされているようだ。
集団でのコミュニケーションで問題が生じたときに、どちらかが悪くてどちらかがいいという見方から
個々を理解しようとすると、それは難しくなる。
お互いの思いに、平等に耳を傾けると言うのはなかなか難しいことである。
それは、個々への理解を実践するうえで必ずぶつかるであろう課題、難問であると僕は感じる。



また、きっちり「私達はこういう決まりごとのもとにやっています」ということを決めていないので
なかなかエネルギーがいるようだ。
間違いなく、あらゆることが規則で決まっていたら、その規則どおりに動けばいい。
試行錯誤であったり、ソウゾウリョク(創造と想像)を働かせて場をつくるというのは、やはりエネルギーがいる。
しかし、だからこそ、過ごしやすい場所になっていくのではないかと僕は思う。
また、そのようにできるというのは、その人の力も必要だと思う。
何でも規則で決まっていれば、ある程度誰にでもできる。
その人に従うというよりも、ルールに従えばいいからだ。
しかし、そうではなく、その場を構成している人たちと状況を考えて判断を下していくというのは簡単なことではない。
そこにはおそらく、まなび場さんが大切にしているもののひとつである「対話」にもつながっているような気がする。



このまなび場さんのスタイルと言うのは、僕が札幌のときに所属していた漂流教室に似ている感じがした。
こういう方が、学校に先生としていたら心強いのになぁと感じた。
しかし、地域にこういう方がいらっしゃるので、地域として考えれば心強いと思った。



お忙しいなか貴重なお時間を頂いて嬉しく思っています。
ありがとうございました。



ちなみに、帰るときに足がしびれてなかなか動けなかったことはここだけの秘密だ。