生活

自分の時間というのは、誰にでも与えられたほうがいい、そう思います。
たとえ、親であろうが、子どもであろうが。
もちろん、それがなくてもストレスをそれほど抱えずやっていける人もいるでしょう。
しかし、息抜きがなければと思うのでしたらそれは大切にしたほうがいいと思います。


僕の仕事であるのは、不登校やひきこもりの状態になると本人の心の健康状態は悪くなります。
それは誰しも起ることで。たとえ、今学校へ行っている子、働いている人でも。
家からほとんど出ずに生活する状態、そういうのが今までの人生でどれくらいあったでしょうか。
また、人と接触する機会がないということ。
たとえ、仕事であれ、学校であれ、その所属先で交流がなくても少なからずその輪の中にははいっているわけです。
電車の中でも、お店の中でも同じ空間に他者がいます。
しかし、全く誰とも同じ空間にも属さないでいる距離感というのは、思いのほか特別な力(ストレス)が働きます。


それに伴って、イライラしたり、落ち込んだり、寝れなくなったり、食べすぎたり。
そのことで家族内の関係も変わります。
家族の生活のリズムや、関わっている時間もかわるかもしれませんね。
本人の心の状態が悪くなればなるほど、そうしたことが現れたりします。
ここで、見失ってはいけないというか、こういう方向にいけるといいなというのがあります。
それは、家族全体の生活です。
状態が悪いうちは、本人にある程度気を配る生活になるでしょう。
しかし、ある程度の状態がよくなってきたら、本人が不登校やひきこもっていなかったらという生活のリズムにしていくのが大事だと思います。
本人と関わる時間を自分の時間につかったり、家でやらないといけないことを優先したり。
本人の状態が不登校やひきこもりだからといって、生活もその色を強く出し続けないようにする。
それが大事なことなんだと思います。
もし、不登校であれ、ひきこもりであったとしても、生活のリズム、過ごしやすさがその状態に関係しないものであれば、本人の状態の良さも見受けられるでしょう。


家族の在り方があまり本人の状態にひっぱられないこと。
それは大事なことであり、自分の時間を持つということがそのはじめの一歩なのでしょう。
また、自分に余裕がなければ、自分以外の人には優しくできないもので。
いろんな意味で、自分の時間を大事にしてほしいと願います。

無意識やクセ

あるお店のオムライスを食べに行こうとします。
今日の昼はオムライスで決まりだと気持ち高まりつつお店に向かいます。
しかし、行ってみるとお店がお休みでした。
何を食べてようかと思いを巡らせても、オムライスのつもりでいたのでなかなか思いつかず、ピンともこず。
自分のなかでこうだと思っていたことって思いのほか身体(こころと体)に刷り込まれていたりして。

地下鉄には、エスカレーターが一定時間使用されないと停止するシステムがあって。
とまっているエスカレーターを最初に踏み出す時少しふらついたりする。
脳が処理を誤ったのか、動いていないエスカレーターに対して戸惑ったりする。

繰り返されることはパターンとして心と体に刷り込まれて、そういうものとして適応していくように思えます。
人の認識や感情もときにクセのように反応していることもあるよなって日常生活のちょっとした場面で見つけたりします。
それが、楽しい物であればいいですが、つらいことであれば癖づけないようにしたいもので。


実際の風邪はよくなれば症状はなくなります。
でも、心の風邪は癖がついて長引くことも、症状が残り続けることもあるように思えます。
クセのような、思い込みのような。
たぶんそれは、核ではなく症状の10%くらいの影響(存在)でしかないのでしょう。
しかし、症状があり続ける限り、自分が病人であるという認識は抜けなかったりします。
たかが10%であっても。
問題なのは症状ではなく、自分のクセとの付き合い方の引き出しが足りていないということ。


心の治療というのは、症状の90%の部分にアプローチすることで心の知恵というのは先にあげた10%と付き合うものなんじゃないかと思います。
生きるためには心の知恵というのは大事なもので。
ときに、気のせいだと思ったり、適当にやりすごしたり。
悩みだしたことが不幸のはじまりにならないよう。
そういう自分との付き合い方、悩みの区切りのつけかた。
そうした知恵も生きるのにはもとめられるのでしょう。
深く考えたり、とらわれたり、のめりこんだり。
自分のそうしたものは、決して悪者ではない。使い方を見いだせていないだけ。
そうした悩み方のクセ、エネルギーは楽しい事に少しもでもまわせたら。
そんなことを思ったりしました。

最近とても暑いですね。
その暑さの10%思い込みが入っているかもしれない。
そんなこともふと思ったりします。

所属 つながり

先ほどイベントの告知をしました。興味がある方は前の記事でをご覧ください。
不登校ひきこもりというところはじゃっかんアプローチが違うと僕は思っています。
スタートラインが違うといいますか。
不登校の場合は「所属先(学校)とどう付き合うか」だと思うんです。
ひきこもりの場合は「所属先をどうするか」という感じで。
ちなみに、所属というのは何でもいいと思うんです。
遊び仲間のグループでも、仕事でも、学ぶ場でも、何か一緒に活動をする場でも。
そこを見つけてから「所属先とどう付き合うか」というのが次の問題で。


そんなことを考えたりするのですが、当たり前のものですが見落とされがちになるのが、家族という所属との付き合い方で。
まずその場所で安心して過ごせないと、何もはじまらないかなという気がします。
というより、家族とうまくいっていないで、自立した場合、何かでうまくいかなくなったときに、よりどころとなる最終的な帰る場所(気持ち的にも物理的にも)がないというのは、かなりの大きな不安を生むように思えます。
なので、できることなら、家族とうまく付き合えているということは重要になります。
どういう距離で、どれくらいの感じで付き合い方を変えていくかというのを、話し合うのが相談だと思います。


そんなことを少し思いました。


それと所属ということに近い話しでつながりという話し。
友達がほしいというのはよくこの領域で本人から聞きます。
とても健康的で、とても自然な思いだと思っています。
友達をつくるというのは結構難しいもので。
いきなり友達になるぞって思っていると、うまいこといかないことが多いかなと想像します。
神経質になりすぎて、自然な自分をだせなかったり、相手に対して悪く見えてしまったり。
気になりすぎてしまうというか。
とくに、人との交流があまりなく長年社会との関係が薄くなっている人は特に。
そこで、思うのは、友達をつくりたいなら、まず知り合いを多くつくることをやってはどうかなと思います。
知り合いなので、話したことがあるとか、挨拶したことあるとか、見覚えがあるでもそれぐらいでもいいと思います。
たとえば、僕はよく日常的に決まったコンビニで決まった商品を買います。
通いつめすぎて店員さんの顔とちょっとした性格みたいなものは把握してます。
おそらく店員さんもそうでしょう。買う商品のバリエーションが広くないのでなおさら(笑)
それだけでも、結構違うかなって思います。
名古屋だったらコメダに通うでもいいでしょう。決まった時間や決まった曜日。
交流がなくても行くだけでも違うかもしれません。
社会に顔見知っている人がいるというのは、少し気持ちを楽にさせるかなと思うのです。
そうしたところからひとつずついろいろ積み上げる中で、気持ちにも力が湧いてきたり、自信もついてきたりもします。
次はこういう人と、こういうつながりをしたいなって具体的に描けたり。


そんなことを思います。
理想を描くとそこしか見えなくなるなら、そこまでの間にステップを設けるべし。
それは大事なことです。
そのステップの数だけ経験が増えて、そうした経験もその人に必要だと思います。
無駄なく最短距離で走るより、遠回りしたほうが人付き合いはうまくいくかなとなんとなく想像します。


そんなことを思いました。
小出しに書けばいいのですが、こんな感じになってしまいます。
性格でるなぁ〜。

親の気持ちに寄り添う

僕が所属している大府市子ども若者支援部会からのお知らせです。
開催日程が間近になってからのお知らせで申し訳ないです。
二学期について不安なようでしたら、今気持ちの余裕があるうちに顔を出すのもいいかと思います。

リフレッシュ

最近とても暑いですね。
なんでしょうね、最近自分のなかで気づいたことがありました。
いろいろ楽しい事があり、それでリフレッシュをしたりしています。
ただ、その自分のリフレッシュの選択肢の中に、ゆっくりと落ち着いて過ごすものがないということに気づきました。
自分のなかで焦りを感じているときに、それによって気持ちを落ち着かせることができればと思ったのですが、僕の生活のなかでそれはないなと思いました。
たとえば、夜静かな部屋で本を読んで過ごすというような。その本は、強く喜びをあたえたり、わくわくするような刺激の強いものではなく淡々と読めて、気持ちが静かになるようなそんな感じ。
そんな本があるかどうかわかりませんが、じっくりとゼロを実感できるようなそういうもの。
それが僕のリフレッシュの選択肢にないなと。
それは場所でもいいかもしれない。
静かで日常と離れてぼんやりと過ごす時間。景色を眺めて過ごす時間。
何にとらわれるでもなく、何に追われるでもなくぼんやりと過ごすというのでしょうかね。
積極的な安心がほしいわけでもなく、ただぼんやりとしていたような。
なんでしょうね、まだ言語化しにくいところがあるんですけれどね。
たぶん、僕にとっては大事なものなのではないかと、どこかで確信しています。
そんなことがふと思いついた今日でした。
今日で7月も終わりますね。暑い日がまだまだ続きそうな予感。

暑い

暑い日が続いていますね。日曜日に、家族相談会があって港区にいっていましたが地下から出る時の暑さに驚きました。僕はサウナに向かっているのだろうかと感じたくらいに暑かったです。

かっこいい事を書こうとすると、誰かにとってとげになりそうでなんだか書きにくいなって思って、へらへら適当な文字しか並べられない自分の不器用さよ(笑)

書き迷っています。

そうですね、何を書きましょうか。

最近、暑くて寝苦しくクーラーをつけて寝ています。おかげでのどをやられて低い声です。ちょっといいなって思っているんですが、痛いのは嫌かなって。
だからといって、暑いのはもっと嫌なのでそのままですが。

やっぱりぐっすりは寝たいと思ったりします。普段起きていて余計なことを考えることも増えたし、気持ちが波立たつこともありますし。やっぱり、心も体も健康でありたいですね。

少し不健康だからですかね、ちょっとしたイベントがいいなって思います。お祭りだったり、ちょっとしたお出かけだったり。いろいろ考えてしまいます。まぁ、それで満足することが多いんですけれどね。

そんな感じ?

できることをする

一つ前に、ひきこもり家族教室の案内の記事を書きました。

頑張らないで自分ができることをするというのが、継続する力のポイントでもあると僕は思っています。
自分ができることをやるとなると、なんとなく新しくできるように学習したり練習がいるものと考える方もいるかもしれません。
そんなことはありません。自分の今までやっていたことでもかまいません。
やってみて、これといった苦労を伴わなくてかまいません。
それでいいのだと思います。
とにかく行動をしていること、これが大事なんだと思います。

とはいっても、継続すること自体が結構大変だったりします。
なので、まずは継続してやれることを見つけるのが大事だと思います。

来週はついに祝日です。
GW明けてから祝日がなくついにというところでしょう。
この「ついに」感はどこか息継ぎしない息苦しさからの解放を漂わせますね。
真面目なんだなー。